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散歩する侵略者(2017年、日本)

散歩する侵略者

これ以上ないくらいストレートな愛の話でして、そこはかとなく漂うB級感も相まって無性に照れました。舞台をベースにしているせいか、演技が敢えてなのかお芝居っぽい感じにしているのも不思議な雰囲気。ないはずの書割が見えてきます。しんちゃんじゃない方の宇宙人二人は、宇宙人というよりは「不機嫌な中高生」でした。

 

好きなシーンはいろいろあったのですが、一番は前田敦子さんです。やっぱりあっちゃんはすごい。もらとりあむタマコも良かったけど、このちょっとだけ出てくる役も素晴らしかったです。

それに比べて、おじさんたちの「概念抜き取られ」の嘘くさいこと…。わざとなんだろうと思うけど、ちょっとバカバカしかった。

最近買った絵本

おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典

おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典

 

もはや絵本でもないのですが、動物の変わった生態を部分的に切り取って紹介している人気の本を買ってみました。

これが大うけ。ほぼ毎日読まされています。

「ウサギは自分のうんこを食べる」などと聞いてキャッキャしています…。うんこネタが多いのは、小学生向けのテッパンコンテンツだからなのかも。そういえば、「おしり探偵」もはまっています。

「太りすぎて飛べなくなった鳥」や「泳ぎが得意だが歩けない鳥」など自分でも知らなかった動物が出てきて超楽しいです。

少し難しい言葉が多いんだけど、平易な言葉に読み下しながら読んでいます。5・6歳なら大丈夫そう。

ミクロな視点で全体をつくる「くまのもの展」

隈研吾さんの素材をテーマにした展覧会が東京ステーションギャラリーで開催されています。展示作品数がとにかく多く、モックアップあり、模型あり、書下ろしの文章ありでけっこう見ごたえがありました。何より展覧会の構成が良くて、小さい頃の記憶から始まり徐々に様々な素材に手を伸ばしていくところを追っていくと、不思議な感動が生まれます。手のひらに乗るような小さいものが、巨大な建築物になっていく不思議さ。

 

展示室は「木」「紙」「石」「ガラス」など素材ごとに分かれていて、それを串刺しにする「粒子」「編む」「積む」などの操作を、どのくらい、どう組み合わせて加えるかによって、素材ごとの系譜をまとめるという構造でした。一つのテーマで連続的に様々な作品を発展させていくのが面白かったです。最初は小さな東屋や内装から始まり、徐々に大きい建物へ、少しだけ展開した別の機工へ。ディテールがたくさん出てきて、そこに新しい技術や優秀な技術者が紐づいて語られるのも魅力的でした。

 

建築家にとって、自分の興味があるテーマというのは一生を通じてあまり変わらなかったりするので、小さい展示会場やちょっとした内装でもずっとそれをやり続けていくことが大事なのかもしれないと思いました。隈さんは素材の小さい単位のことを建築全体に展開していく手法が多いので、特に小さい作品がうまく機能しているのかもしれません。

プロジェクトに終わったものや、ただの展示スペースや家具などでもきちんとまとめて、系譜立てて説明するのが大事なんですね。色々と勉強になりました。

ステンレンスフィルターは味がストレートに出ておいしいと思う反面、豆がまずいとよりまずくなるような気がした

コーヒーサーバー コーヒードリッパー プレゼント Love-KANKEI スポンジブラシ付属 耐熱ガラス ステンレスフィルター 2層メッシュ 紙フィルター不要 電子レンジ可 2-5人分 800Ml

少し前に、ずっと欲しかったステンレスフィルターを買いました。

ステンレスフィルターとは、細かい金属網がついたドリッパーのこと。紙のフィルターが不要です。紙フィルターは紙の味がつくような気がして気になっていたのです。それまで使っていたドリッパーが陶器製で温まりにくいので、温度が下がってしまうのも気になっていました。

ステンレスフィルター、いくら目が細かいと言っても紙や布には劣るのでは?と思うのですが、やはりそれはそうで、少しだけ細かいコーヒーのかすがコップの下に溜まります。気にならない程度です。

 

味の方はというと、紙フィルターよりも香りや味が強く出て、とてもおいしい。味が強めに出るのは想定通りです。そういえば、「おいしいコーヒー豆はフレンチプレスも良い」と聞いたことがあります。よりダイレクトな味が出る抽出方法がおいしいというのは、豆がおいしいからなのかも。

その反面、ステンレスフィルターは豆自体がおいしくないと雑味が余計に出てまずく感じそうです。

 

いずれにせよ、紙フィルター不要な上にネルドリップ(布)よりも扱いが簡単、というか、ただ食洗器に入れるだけで完成するので、単に手間を省く意味でもステンレスフィルターはおすすめなのでした。

 

関係ない話ですが、このポット、買って1週間ほどで夫氏に割られてしまい、我が家本当にガラスの器運ないなーと思いました…。

愛を読むひと(2010年、アメリカ)

愛を読むひと(字幕版)

見た後に考え続けてしまう映画。

15歳の少年マイケルと、17歳年上の女性ハンナの恋愛物語としてスタートするが、ハンナには重大な秘密があって…という話。恋愛要素の大いにあるが、ドイツが抱える社会問題と、罪と恥の問題が絡んできて複雑な様相を呈する。

 

なぜハンナは文盲であることを知られたくなかったのか?

1.ハンナがヒトラーを立ててしまったドイツ国民の象徴だという解釈

ドイツ人が現実を直視せずに、盲目的に独裁者に従ってしまったことへの恥を象徴している。文盲だったことを隠して裁かれるのは、さらに一部の人間にナチの罪を着せていることを表している。のちに法学生が「みんな知っているのに知らないふりをした」と激高することもつながってくる。

2.ハンナがロマだという解釈

本当はヒトラーとユダヤ人の話ではなく、ヨーロッパに渦巻く差別の歴史を描いている。この場合、ハンナが文盲であることを恥じているのは、自分がドイツ人ではないのを恥じているということになる。確かに映画の印象としてはナチスよりもハンナ本人の存在感が強い。

3.ナチスの原因になったドイツの貧困を描いている

ヒトラーがドイツ人の貧困を使ってユダヤを迫害したように、ドイツ内での貧困の象徴を描いている。ドイツ内でも階級の高い人間は教育を受け、罰から逃れられており、被害を被るのは貧困層のみ。文盲のハンナと教養のあるマイケルの関係にも描かれている。

 

2.は西部邁さんの説だそうで、けっこう納得感があったのですが、映画でも原作でもほとんど描かれていないことなのでさすがに製作所の意図ではないのかも(解釈としてはアリですが)。

 

ハンナは「真面目であることが長所」と冒頭で言われるように、言われた仕事をそのままやっていくことに長けています。その反面、他人の感情を読んだり、自分が有利になるように立ちまわったりすることはできないキャラクター。友だちがいないことや、マイケルとうまくコミュニケーションができないこと(マイケルの方が感情の言語化や人の気持ちを汲み取ることが得意)にもそれが描かれています。

特に裁判の時にその傾向が顕著に表れていて、自分に不利な発言でもしてしまいます。アウシュビッツでの事件も、職業人として言われたことをやるのみ、という態度で、アイヒマン裁判を思わせる展開でした。

 

なぜマイケルはハンナを救わなかったのか?

1.文盲であることを恥じたハンナを尊重した

元々文盲であることを隠すために昇給のチャンスを放棄して逃げ出したような人物。「彼女は裁判の証拠になることを恥じているから言えない」と教授に言ったことからも、そこを尊重したと考えることができる。

2.恐ろしいことをしたハンナを許せなかった

マイケルがアウシュビッツに訪れて恐怖に打ちのめされているシーンや、最後の「(無期懲役から)何を学んだか?」と問うシーンから、恐ろしいことをしたハンナを許せなかった、罰するべきだと思ったということも考えられる。

 

この問いは非常に難しく、1と2が混ざった心情だったのだと思いました。ハンナがあまりに恐ろしいことを平然とやったように思えて恐ろしかった一方、本当は本や音楽に感動して泣くような人物であることも知っていたし、真面目でコミュニケーション下手なことを知っていた(そして、そこを愛していた)。

心の折り合いがつかず、ハンナを救わずに逃げてしまったんだと思います。しかし、彼女だけが裁かれるのは間違いですし、自分が行動を起こせなかったことを後悔していた、だからテープを送り続け、出所するときには身元を引き受ける予定だったのでしょう。

 

ハンナが死ぬきっかけになったと思われる、「何を学んだか?」というセリフの意味は?

恐ろしいことをしたハンナを許せない気持ちが半分あったため、そこが変わったかどうか聞きたかった。おそらくハンナは当然後悔していたが(お金を生き残りに残していたことからわかる)、それを関係のないマイケルに裁かれる謂れはなかった。マイケルがそういう目でしか見ていないと思って絶望した。

 

これも難しい問いです。全篇通して「すれ違う二人」が描かれるのですが、このシーンが一番決定的なシーンでした。あんまりなセリフですが、マイケルがずっと聞きたかったことでもあるんですよね。ハンナが残したお金を文盲の人たちのための組織に寄付することになった流れからも、「盲目であったことが悪いのだ、個人が悪いわけではなかった」というメッセージに受け取れます。普通の人たちが真面目に恐ろしいことに手を染めてしまうのは、全体を見ないことによる思考停止が原因であるという、アイヒマン裁判と同じ話です。

 

ただ、こういう映画がアメリカ映画として英語で作られるのは残念ですね。

豆を見に、コーヒー店へ

結局いい豆ってどうなのよ?という疑問が頭を離れないので、コーヒー豆を見にいきました。一番安いコーヒーで1杯550円、高いので3000円くらいの店。

 

さっそく豆観察。

 

安い豆

やはりうちの子供にボツにされる豆がちらほら。サイズのばらつきもアリ。色のばらつきアリ。

 

高い豆

たまたまかもしれないが、豆のサイズが一様に大きい。そして一つ一つがキレイ。ボツ豆もあるが、サイズがだいたい同じ。サイズがそろっているためか、色が均等に入っている。

 

私の中での結論が出たんですが、

ボツ豆どうこうというよりも、味の均等さがポイントなのかと思いました。全部太ったキレイな豆なので、味にムラが出にくいのでは、と。

また、コーヒー豆もリンゴのような農産品と考えれば、大きくきれいに見える豆の方がおいしいことが多いのでは(必ずしもそうではないが…)。ただ、農産物と違って焙煎という手間が入るので、全く同じに考えるのも違う気がします。すっぱくて不揃いなリンゴの方が、ソテーするとおいしいみたいなこともあるし。深煎りだともっと影響が薄くなっていく気がするし。

 

次はもう少し上等の生豆を買ってみようと思います。

既に少しずついい豆の方に移行しているのですが…

こうやって人は沼にはまっていくのね。

 

余談ですが、うちの4歳児はコーヒー店に入るとケーキそっちのけで豆を凝視し始めました。ピッキングしたくてうずうずしていたのでしょうか。分かるよ…。

 

最近買ったコーヒーグッズ

ついにステンレンスフィルター購入。コレ、いいです。おいしい。心配していた粉の流出もほとんどなく、味が濃い目に出る気がします。何よりフィルターを使わなくていいのが良いですね。味に影響しそうな要素が減ってうれしい。 

これは2千円ぽっちでフィルターにポット、台座、清掃用具までついているというお得なセットでした。ついでにポットも手に入ってラッキーでございます。

アトミック・ブロンド(2017年、アメリカ)

アトミック・ブロンド(字幕版)

個人的に筋トレにはまっており、ふとした時に「もったいない」と思って特定筋肉に力を入れたりスクワットしたりしている毎日なのですが、本作はシャーリーズ・セロンの美しい背中の盛り上がりや引き締まったふくらはぎが堪能しまくれて最高でした。背中の筋肉、いいねぇ…。背中はなかなか筋肉がつかず、悩んでいるのです。シャーリーズセロンはトレーニング中に歯を食いしばりずぎて2本割れたとのこと。簡単には手に入らない背中なのであろう。

しかも、非力な女性ならではのリアルな戦いを盛り込んでいるらしく、見慣れたアクション映画よりも数段痛そう&必死でした。シャーリーズ・セロンは毎日戦っているので、いつもあざだらけで顔がぼこぼこになっていたりするんです。

また、そのような痛そうな毎日を送りながらも彼女からは毅然としたプロ根性みたいなのしか感じず、可哀そうだったり心が傷ついたりといった描写があまりないのもポイント。かといって殺人マシーンではなく、ただただ職業人という感じでした。アリシア・ヴィキャンデルだとこうはならない気がするので、やはりシャーリーズ姐さんのゆるぎなさがすべてなんでしょうな。

 

そういう「リアルなかっこよさ」はあるんだけど、私のせいなのか話の筋がよく分からず、シャーリーズ・セロンを愛でる以外の効用がないのが残念でした。ソフィアブテラもただの飾り的な感じで…。「アンタ戦えるやろ!!」ていう(他の映画と混同した発言)何がしたいのかよく分からなかった…。オチで「結局アメリカかーい」とずっこけたのもなんだかなあ。最後は無性に腹が立って終わりましたね…。