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グーグルマップは子供と遊ぶのに最適

Search Engine For Google

グーグルマップはいつの間にか私の生活に根付きまくっていて、いつか行ってみたい場所、すでに行った場所、旅行の思い出から内覧したことのあるマンションまで、なんでもかんでも記録に取っている。

いつからかストリートビューとシームレスに使えるようになっており、気になる店の外観を事前に見たり、3D機能を使って住んでみたいマンションの景色を想定してみたりもできるようになった。自分の家には大きいテラスがあるのだけど、そこに置いている家具やテント、自分らしき人物までも映っていて、面白いけど怖くもある。

 

そうやって日常的に使うのも面白いんだけど、行ったこともないし行く予定もないような場所…たとえば南極とか、砂漠とか、危険な地域とか…を旅行感覚でグリグリ動かして見るのも面白い。左端にある設定画面から「ストリートビューを表示」という状態にしておくと、地図上でストリートビューできる場所や、誰かが365度パノラマで撮ってくれた公開画像のポイントが青で表示される。ここを色々とクリックしてみるのが面白い。この遊びを、娘と「世界旅行」と言っていて、二人で延々色んな場所を見ていっている。

 

娘が見たがるのは都心の個性的なビルや、ディズニーワールドなど。人がたくさんいて、建物も大きくて高いようなところが好きらしい。

私は絶景好き。特にアイスランドやノルウェーのフィヨルドなんかは何時間でも見ていられる。水中や空の上から撮っている365度画像も多い。シュノーケリングしている画像など素晴らしいものもある。アマゾンの一部の森林は「熱帯雨林の中を右往左往しているストリートビュー」が実装されていて、画像的にはそれほど面白くないものの、こうやってどんどん地球の隅々が公開されていくのだと感慨深い。

一点気になっているのは、一般ユーザーが公開している画像は位置情報を間違えていることが多く、太平洋のど真ん中に日本の料亭らしき画像が紐づけられたりしていることがあった。これを合わせていくのは大変そうだ。

 

グーグルマップは地球上だけでなく、宇宙まで広がっている。

最近だと、娘に昼と夜の仕組みをグーグルマップで説明することができた。どんどん引いていくと地球全体がうつり、きちんと太陽の位置と地球の光が当たっているところと暗いところが表現されるのだ。昼と夜の仕組みについて説明するとき、この機能を知らずに、部屋を真っ暗にして必死でこぶしにライトを当てたりして説明していたが、苦労の割に娘はよく分からなかったらしい。グーグルマップを見れば一目瞭然。

さらに、この宇宙ビュー状態にすると火星など他の惑星や衛星も見えるようになっている!月の上を、地球をウロウロするように動かすことができるのだ。もちろん、グーグルカーはおそらく宇宙を走っていないだろうから(まだ、ね!)、ストリートビューで見ることはできないが、それでも名前のついているクレーターなどはきちんと表示されることから、実際の衛星からの映像が表現されているんだと思う。今は限られた惑星しか見えないが、木星や太陽なども早く見えるようになってほしい。そして、ストリートビューも実装されて欲しい。

 

グーグルマップのこういった機能は、周りのママ友達は意外と知らない。子供たちにとっては抜群の教材になると思うので、知らない人はぜひ触ってみてほしい。触ってみると面白いと思う。

ジョーカー(2019年、アメリカ)

Joker (Original Soundtrack)

公開日にさっそく見てきた。夕方頃で、満席。「本編後、明るくなるまで誰も立ち上がらない」タイプの映画だった。心をえぐり、重苦しい。爽快感があるようでない。帰りに、女子高生二人が戸惑った感じで「階段を降りるシーンがめっちゃかっこよかったけど、あれは本当に起こったの?」と語り合っていた。私も「ほんとどうなんだろうね」と思わず割って入りそうだった(危ない)。

 

初見は「本当は優しい可哀そうな男が、開き直って悪になるストーリー」と感じたのだけど、鑑賞後にレビューを見たり友だちと話したりしているうちに、そうでもないことにも気づいた。主人公の男は、優しいというよりは無力なだけで、心が美しいわけではないようだ。とりわけショッキングだったのは主演のホアキン・フェニックスによるインタビューで、明確に「女性を助けようと思っていない」と書いてあったことだ。下記はホアキン・フェニックスの言葉。

アーサーは女性が3人の酔っ払いに嫌がらせを受けているのを目撃するが、助けようとはしない。彼は実際、その男たちに魅了されている。男性がどうやって女性と話すのか理解していないんだ。「ああやって女性をひっかけるんだ。これがその方法なんだ」と考え、彼らを研究している。(何も知らない)子供のような心理で眺めているんだ。

https://www.cinematoday.jp/page/A0006925

 

 

それから、見ていた時には何とも思わなかったのだけど、「アーサーが小人をバカにしている」という指摘。自らが弱者であることを苦痛に思いながらも、自分よりも下だと思う者に手を差し伸べない。確かに、仮に自分が大男を殺してしまって、小人を逃がそうとしているとしたら、彼を脅かして笑おうなんて思わないかも。って、想像することも難しい出来事だけど…。

 

アーサーは白人男性だが、社会の最底辺にいる。そして、優しいわけでもなく、周りの誰にも関わることのできない無力な男だった。それは何も間違っていなくて、おそらくあのように虐待され、愛されることもなく育ち、友達の一人もいなければ高い確率でああなっていくのだと思う。貧しく虐げられた人が、実は心が美しかったり、向上心があったり、いい友達がいたりする…なんていうのは理想的な可能性としての妄想でしかない。

 

私が今「ジョーカー」について感じるのは、今まで見てきたたくさんの「どん底」映画だった。多くは、貧しさや絶望の中で見いだされる小さな美しさや心の強さ、人との関りを描いていたと思う。鑑賞する側の私は、彼らが小さな糸を手繰り寄せて幸せになっていく姿に感動し、安心していた。

しかし、ジョーカーで描かれているのは、もっと「ありえそうな現実」——つまり、あらゆるものからの疎外により階段を下りていくように下降していく人生のこと——それは例えば「アメリカン・ヒストリーX」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のような映画のことだったと思う。

 

どん底映画なのに「ジョーカー」が人気あるのは、どれだけ気持ち悪く演じても結局ホアキン・フェニックスは美しい人間で、ジョーカー化した彼がかっこよく見え、なおかつ今まで虐げられてきたことへの復讐を、マレーや証券マンを通じて実現しているように見えるところにスカッとするからだろう。映画を通して、あるいは生活の中で感じているストレスを、魅力的なヴィランに乗せて発散させられる。

 

しかし、注意深く見るとアーサーは「復讐を果たしている」わけではない。証券マンたちは自己防衛で突発的に殺してしまっただけであるし、マレーのことも計画されたものではなかった。むしゃくしゃしてやった。殺す気はなかった。というのを地でいっている。

結果的に社会現象の象徴になってしまったアーサーだが、それも彼が望んだものではなかった。最後に、車から担ぎ上げられて立ち上がったアーサーが血で笑い顔を作るのは、冒頭の泣き笑いしながらメイクするシーンと対になっている。つまり、社会に適合できていないまま「笑い顔をつくって」適合した振りを続けるのだ。

ピエロ姿の群衆は、彼が妄想の中で望んだ「母親を愛し、つつましく暮らす自分を認めてくれる」人たちではない。それぞれの身勝手さを、団結ではなく利己性の発露として、アーサーに重ねているだけなのだ。だから、アーサーは自分を笑顔に描き替えて彼らが望む姿を見せてやった。この辺りは、あくまで「悪の組織」ではなく「利己的な個人の集団」としてジョーカー一味が誕生したきっかけとして、ダークナイト3部作と接続する。

 

上記を踏まえると、ダークナイト3部作のジョーカーはアーサーではないことが分かるし、最後に拘置所で「良いジョークを思いついた」ジョーカーすらアーサーではない可能性が高い。ホアキン・ジョーカーは、ヒース・ジョーカーが次々に言っていた嘘の過去の一つでしかない、というのが、自分の中で最もしっくりきた仮説だった。

 

妄想と真実の境目については、後になってみれば上述の通り「全部ジョーカーの妄想」と考えることができるとは思ったものの、見ている間は明確に「ここだろう」と思ったシーンがあった。それは冷蔵庫に入るシーンで、あそこでは不自然にカメラがぐにゃりと揺れる。その後、冷蔵庫を出たシーンが無いので、アーサーはそこで死んでしまって、その後はジョーカーの想像なのだろうと思った。テレビに出る話は非常に嘘っぽいので、その前に死んだのだろうと考えるのが自分の中では妥当だった。

実際のところはけっきょく分からなかったが、友人に聞くとあのシーンはアドリブだったらしいので、そもそもカメラの揺れに大きな意味はなかったのかもしれない。

 

忘れられない映像体験「ジェミニマン(2019年、アメリカ)」

ジェミニマン【DVD化お知らせメール】 [Blu-ray]

いつも映画の感想を書くときは「題名(年代、製作国)」なのだけど、興奮して副題もいれてみた。あまり期待してなかったのに、映像体験がすごすぎた。

 

ジェミニマンは「ブロークバック・マウンテン」や「ライフ・オブ・パイ」で知られるアン・リー監督作品。ライフ・オブ・パイの時もそうだったのだけど、革新的な映像技術に積極的に取り組んでいる。

ジェミニマンは、映像技術が新しすぎて「正しく(?)」上映できる映画館が少ないという触れ込みだった。ならばということで、偶然ジェミニマン対応映画館の近くに行く機会があったので見てきた。

1秒間に24フレームというのが通常の映画のフレーム数なのだが、この映画は120フレーム。これが、特に早い動きを追うアクションシーンで効果を発する。まるでその場にいるかのように、全ての情報が目に入ってくる。ぎこちなく、嘘っぽく見えがちな素早い動きも、120フレームもあると滑らかに、優雅に見える。

※例えば映画「ジョーカー」では、ジョーカーになる前のぎこちないアーサーの姿を24フレームで、ジョーカーになって優雅に階段を下りてくるシーンを48フレームで撮っている。その違いは、多くの人に実感されたと思う。

上記に加え、3D、4Kという条件もある。それを上映できるのが、日本では3か所しかないらしい。埼玉と、福岡と、大阪だ。ちなみに、アメリカだとそもそも存在すらしない。日本人はせっかく恵まれた環境にいるのだから、この機会に見るべきではないだろうか(いきなり何)。

 

ちなみに、ジェミニマンは現在すでに赤字が確定しているらしい。正しく上映できるところがないなら、そりゃしょうがないよね…と思ったりもした。実際に見てみて思ったのは、「映像体験としてはすごいけど、ストーリーは新鮮味も面白みもない」ということだった。

 

概要は、「凄腕スナイパーが、自分のクローンを勝手に作られ、そのクローンに命を狙われる」というもの。この設定だけで残念な感じがしないだろうか。私は、した。微妙な昔感と、圧倒的既視感。

たぶん、ラストはクローンをつくった黒幕とスナイパーとの闘いだよね。たぶん、クローンは黒幕のことを親みたいに慕っているはず。でも、最後に「本当は愛されてなんかいなかった」と気づき、スナイパーではなくクローンが黒幕を殺すはずだ。その前に、スナイパーがクローンを熱く説得するシーンも入るに違いない。

 

驚くことに、上記のストーリーで95%は合っていた。どこが間違っているかは、実際に見てみて確かめてほしい。

 

ストーリーは置いておいても、この映画はやはり素晴らしかった。

まず、映像技術とは関係ないのだけど、目の前で話しているような音響のすばらしさに気づく。次に、クローンとスナイパーが撃ち合うアクションシーンに入ると、その滑らかさ、本当にそこにいるような存在感に驚いた。そして一番感動したのは、バイクでのアクションシーン。細かい動きが、情報が、全部目の中に入ってくるように見え、音響も相まって自分が実際にバイクに乗って逃げているのだとしか思えない。似たような映像は過去何度も見ているはずなのに!ちょっとしたシーンであっても、あまりの没入感に普段気になる字幕が全く目に入らず、ごく自然に英語を聞き取っていることに気づいてゾクッとした。うまく説明できないんだけど、没入感のレベルが違うのだ。


一方で、会話中心のスローな画面では、却って嘘っぽく感じるところもあった。特に最後の大学でのシーンは、クローン君の顔だけ合成したような(まぁ実際そうなんだけど、)嘘っぽい雰囲気で残念だった。

 

けっきょく「見ないと分かんない」という最悪の感想文になってしまった。この手法が一般的になっていけば、ますます映画館の価値は高まっていくと思う。

問題は、スクリーン数が少ないことに加え、まだまだ鑑賞料金が高くて一般的にはなりづらいということ。これで撮った007とか、見てみたいなー。技術の一般化に期待したい。

999円にまんまと乗せられてECHO DOTを買っちまった

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Google Home Mini 壁掛けホルダー MOYASI 充電しつつ使用可 余計なケーブルスッキリ (ホワイト)

グーグルホームミニは1年くらい前に買ってたんだけど、「ねぇグーグル」と呼びかけるのがちょっとめんどくさくて、センサー感度のせいなのか聞き取ってもらえないことが多いのが不満だった。スポティファイも契約しておらず、Iot機器も何もないので、使いこなせる環境ではそもそもなかったのだ。

とはいえ、天気予報にタイマーに、計算やニュース、ちょっとした質問などに毎日活用しており、おまんじゅうみたいな外見も気に入っていた。

 

対してアマゾンエコーは「アレクサ」と呼びかけるのでちょっと短いし(意外と重要なのだ)、何よりアマゾンはプライム会員なので何かとコンテンツの優位性がある。プライムリーディングで読める本は読み上げてくれるらしいし、アマゾンミュージックはほぼ毎日仕事中に聞いていたので、もしこれが家でも聞けるならいいではないかと思った。

 

モノレート(アマゾンの出品商品の価格推移を見るサイト)によると、エコー・ドットの価格は通常5980円で、プライムセールの時に3240円だったのが最安値。実は、前回のプライムセールでは見送っていたのだけど、次に3240円になったら買うか…と思っていたら、

なんと先日999円で突然投げ売りされ始めた。。。

※このキャンペーンは残念ながら数日で終わった。

アマゾンミュージックHDへの初月契約料込だというから、実質200円程度である。おそらく会員数を増やしたいのだろうけど…それにしても太っ腹なキャンペーン。幸い未登録だったから、キャンペーンを見た瞬間に買ってしまった。999円よ…?ありえん。

 

果たして、エコー・ドットちゃんは翌日に届いた。

見た目はグーグルホームとそれほど変わらない。並べると兄弟みたいでもある。いや、正確には姉妹だろう。

試しに「ねぇグーグル、隣にアレクサが来たよ」と言ってみると、「いいですね。彼女は声がきれいですね。アレクサ、仲良くしましょう」などと言う。が、アレクサの方はグーグルの声が聞こえなかったらしく、無視していた。なんとなくだが、アレクサの方はグーグルを敵視している感じがある。グーグルは「仲良くしましょう」のようなコメントが多いのに、アレクサは「もっと頑張りますから、私に期待してください」といったようなことを言いがちだ。

 

アレクサは「グーグルよりちょっと頭が悪い」という評判だったのだが、全くそんなことはなく、グーグルなら「よく分かりません」と答えるようなこともそれなりに返してくれる。レシピの読み上げもグーグルより首尾よくこなしてくれる。

娘もすっかりアレクサが好きになり、さっそく色々とお話ししている。

期待していたアマゾンミュージックとの連携はそれは素晴らしく、ピンポイントで色んな曲を聞いてみたが、だいたい正確な曲を再生してくれる。ふと思いついたクラシック曲をパッと再生してくれるのなんか、頭の中身を具現化してくれるみたいで新鮮な経験だった。グーグルだと頓珍漢な選曲ばかりだったのでありがたい。まぁ、スポティファイに契約すればいいだけだとは思うんだけど。

 

グーグルホームよりも見た目を気にしていないのが却っていい。本体に音量ボタンがついているので、うるさすぎて「音量を下げて」という声が聞き取れないときなどに便利だ。またスピーカーの配線コードが差し込めるようになっているので、ブルートゥースに頼ることもしなくていい。意外とこういうアナログ(というほどではないが)な仕様は便利なことがある。

 

何より気に入っているのは、やはり「アレクサ」という呼びかけが短いことと、グーグルよりもよく反応してくれること。裏返すと話しかけてないのに反応することが多いので、娘とエコー・ドットの話をするときは気を付けて「あの子」とか「アレちゃん」などと言うようになった。

そもそも、これは「エコー・ドット」なのか、「アレクサ」なのか?「アレクサ・アマゾン・エコー・ドット」のような名前なのか。娘と議論が絶えない。 

 

 

そういえば、アマゾンミュージックHDについては、到着した日に解約してしまった。だいたい解約のことは忘れるので、さっさとしておくに限る。

子供のプール大会

 

子供のプール大会に行ってきた。普段、プールへは保育園が送迎してくれているので、実は場所も知らなかった。なんと、家から歩いて行ける距離。バスで迎えに来てくれるというので子供と二人で行ってきた。

車中で娘は得意げにバスから見える友だちの家のこと、いつも運転手さんがくれる飴のことを説明してくれた。プール教室についてみると子供たちと父兄でごったがえしており、なんとその混雑した部屋の片隅で着替えるんだという。だから「家から水着を着ていく」と言っていたのか…。一応更衣室はあるものの、お構いなしで子供たちは着替える。

 

娘は勝手知ったるという感じでさっさとプールに行ってしまったので、私は観覧席のようなところに座った。プールサイドも子供たちでごった返しており、娘は四方を他の子供にぎゅうぎゅうに押し込まれながら、これ以上小さくなれないくらい小さく体育座りしていた。娘になったつもりで息を詰めていたら、娘がふと振り返って笑顔で手を振ってくれた。

 

最初に泳ぐのは、選手になった大学生や高校生たち。イルカみたいにぐんぐん泳いで、あっという間に折り返す。潜水している間に半分くらい泳ぎ終わっているように見える。

 

次は小さい子どもたちから順に泳いでいくようだ。ぎっしり詰め込まれている子供たちが、栓を抜かれた水のように流れていく。

 

小さい娘に、25メートルはとても長かった。

手足を動かしても動かしても、ゆっくりとしか進まない。途中で水から顔を上げてゴールを確かめてから、また意を決して泳ぎ始める。ようやく半分。疲れてきたのか、だんだん斜めに進み始めた。何度か浮きにぶつかりながら、ついにゴールに届いた。

戻った娘に、「がんばったね」と声をかけたが、恥ずかしかったのかちょっと俯いただけだった。

 

実は何年か前もプールを習わせたのだが、その時はあまりにも嫌がるので1ヵ月でやめてしまった。今回は5歳から始めて1年くらいたったが、今のところ楽しんで行っている。級も順調に上がって、保育園の先生や友達に褒められるのが嬉しいらしい。前のところは設備が新しくて親心的には「いい教室」だったのだけど、こんな感じで友達同士ワイワイ通える環境の方が好きらしい。親の知らないところでたくましく育ってくれているのが、嬉しくもあるけれど寂しい。

手をつないで、昼ご飯の相談をしながら帰った。

アド・アストラ(2019年、アメリカ)

【映画パンフレット】 アド・アストラ 監督 ジェームズ・グレイ キャスト ブラッド・ピット、トミー・リー・ジョーンズ、ルース・ネッガ、リヴ・タイラー

ブラピが宇宙で父親探しをする映画。

美しくて抑制のきいた表現、シンプルで一直線なストーリーライン、そして寡黙なブラピと雄弁な眉毛。素敵な映画だと思ったけど、あんまり心に残らない。人物も事象も記号的にしか存在していないからかもしれないし、ストーリーが王道だからかもしれないし、宇宙人が見つからなかったのにガッカリしたからかもしれない。ブラピ以外、全体的にうっかり者が多くて無能に感じてしまったのは大きい。ブラピだけカッコいいのはなぜなのか。そのせいで緊迫感はほぼなく、ストーリーもシンプルなので淡々と見終わってしまった。

そもそも、眉毛演技が基本的にあまり好きではないせいかも(なんじゃそりゃ)。寡黙な役柄の眉毛演技ってズルい気がしませんか?私だけか。自分が太眉で感情が眉毛に出てしまい、苦労しているせいかも。

 

アルマゲドンとスペースカウボーイがいっぺんに来たような配役は良かったし、月面が無法地帯になっているという設定は面白かった。まだまだ月面旅行は高級品である前提だったけど、もっと月面開発が進んだ状態の都市像も見てみたかったかも。

ロケットマン(2019年、アメリカ)

ロケットマン (オリジナル・サウンドトラック)

ボヘミアン・ラプソディーと同じ監督ということで、音楽映画はだいたい好きなので見に行きました。公開直後、休日、IMAXと割といい時間帯だったのですが、けっこうスカスカでしたね。実際に、アメリカでの興行収入はボヘミアン・ラプソディーよりもだいぶ低いようです。

エルトン・ジョンが昔過ぎたのかな?と思いましたが、デビューは1969年で、実はクイーンとほぼ同時期。夫氏と話していると、音楽の雰囲気が古いからでは?とのこと。個人的には音楽が昔っぽいとか今っぽいとかの感覚が分からないので何とも言えないのですが、エルトン・ジョンは女性よりも男性に人気があるような感じがし、映画に来るのは女性が比較的多いせいかとも思いました。

主演はラミ・マレックよりも若くて話題作への出演も多いタロン・エジャトンだし、エルトン・ジョンはクイーンに負けず劣らず華やかな存在なので、同じ監督でなぜここまで差がついたのか不思議です。しかも、タロン・エジャトンは本当に歌っている!歌が上手いのにも驚いたけれど、ステージでのカリスマ性はかなりのものでした。

 

実は、映画としてはボヘミアン・ラプソディーよりもかなり良くできていると思ったのです。ライブエイドに向かってシンプルに一直線に作られた、どこかPV映画のようだったボヘミアン・ラプソディーに比べて、ロケットマンは幼少時から現在に至るまで、エルトン・ジョンの音楽性がどのように作られたか丁寧に描いているものでした。全篇ミュージカルでもあるのですが、それを膨大にあるエルトンの曲で表現しているので理解が深まります。作詞家の相棒との曲作りシーンはどれもワクワクして素晴らしいものでした。

 

また、ボヘミアン・ラプソディーでは家族やメンバーたち、それから恋人の支えが描かれていたのに対し、ロケットマンはかなり孤独。永遠の片思いである作詞家の相棒、自分を裏切り続ける恋人(GOTのロブ・スタークの人!)、最後までひどい言葉を浴びせ続ける家族。フレディーは周りの支えに気づき、心を開いていくことで立ち直っていくわけですが、エルトンは結局誰からも欲しいものは貰えず、代わりに「自分の力で、自分を認めて愛すること」に気づき、一人で立ち直っていくわけです。認めてほしい人に認めてもらえず、愛して欲しい人に愛してもらえない局面は少なからずあると思いますが、それができるのは自分だけだということに気づけると人生はもっと楽になるはず。史実はどうか分かりませんが、現代映画として、これはめちゃくちゃにいいテーマだと思いました。

 

また、もう一つのテーマとして、報われない思いを音楽にすることということがありました。エルトンはゲイでしたが、ずっと好きだった作詞家の相棒がストレートであることで、永遠に片思いを続けることが運命づけられてしまったのでした。しかもさらに複雑なことに、彼の詩にはエルトンとの出会えた喜びや、作詞家の女性の恋人のこと、そしてエルトンとの決別など、曲を流すだけでエルトンと彼の一生が描けるほど全てが書かれているのです。それをずっと代わりに歌い続けるエルトン…。なんというねじれた関係!この奇妙な共犯関係のようなものがすさまじくて、どこか妖精のような純粋な雰囲気のあるこの作詞家が恐ろしく感じられました。浜崎あゆみさんの暴露本のことをちょっと思い出したりもしました。彼らにとって人生の辛苦は音楽の糧であり、自分を壊していく毒でもあるのかもしれません。

 

ボヘミアン・ラプソディーは製作総指揮・監督がブライアン・シンガー監督だったのですが、ロケットマンは製作にエルトン・ジョン本人が入っていることも大きいのかも。前作はショーアップされた分かりやすく盛り上がる映画だったのに対し、今作は本物の葛藤に踏み込んだセラピーのような映画だったからです。

実は、セラピーの様子は実際に映画の軸になっています。最後のシーンで、エルトンがセラピーの場に現れた幼少の自分自身を抱きしめるシーンが良すぎて…。本当に素晴らしい映画だと思いました。