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考え続けること

 

先日は大学時代の恩師を食事にお呼びしました。鼻息からも知識がフンガーと漏れてきそうな博学な先生で(って当たり前か、)久しぶりに先生の話に浴していると色々と反省させられました。


会社員になって数年経ちましたが、仕事がラクになったと感じることがある一方、ラクになったというより、考えずに動いていることが多くなってきただけでは?とも思います。「こういう事態にはこう対処する」という経験が思考パターン化してしまっていて、しかも大体のことはそれでうまくいってしまったりするのです。

しかし、本当は案件によって多くの変数があります。そして、思ったより早いスピードで、技術も「大多数の人の考え方」も変わっていっているようです。

毎回新しいことをする必要はないけれど、いつでもその案件に対する最適解を、できるだけ広いプールの中から掬えるようにしたい。考え続けることが大事だと思ったのです。そしてそれは、効率厨の自分には、意識的にしなければいけないことでした。

 

情報は処理しきれないほど手に入れられますが、ぼんやり生きていると「面白いね」「スゴイ」くらいの感想しか持てませんでした。しかし、物事に対する見方の面白さって、その出来事の単純なインパクトよりも、それが起こってきた文脈や今後の影響力を計れるかどうかにかかってるんですよね。

そして、そのような文脈的・体系的思考を身につけるためには、「一つのことを自分なりに深く理解すること」が大事なんだと思います。一つのアンカーが打たれているから、他のことを知った時に、それが持つ時代的な意味や必然性が自分なりに想像できるというイメージです。

アンカーを持つと偏るけれど、偏っていればいるほうが面白いと思います。さらに、何かの話題を振られたとき、「そのことは専門外だから…」という姿勢ではなく、自分のアンカーにめちゃくちゃ引っ張られたことを言う人が面白い。


冒頭の先生の面白さって、最近話題の建築家の話をするときも、気に入っているアイドルの話をするときも、同じ建築史というアンカーに引っ張られているから。思いっきり偏っているけど、それが真理でもあるんですよね。日本のアートが西洋の文脈で再発見されたように、建築史家から見るアイドルもまた、全く新しい価値を纏っているのです。