のではないか?と示唆している研究が、WIREDで紹介されてましたよ。
異性愛の母、異性愛の父、同性愛の父という3つのパターンによる、子供と接するときに脳が変化するエリアの違いによって、母性と父性がどう違うか見ているようです。
結果、母に起こる脳の変化と、同性愛の父に起こる脳の変化は同じであり、異性愛の父のみ異なったそうです。
つまり、妊娠・出産を経験せずとも、子供との関わりの深さにより、「母性」と言えるものが生まれる、と。
(正しくはぜひ元記事をご覧ください、短いので→父親になったとき、あなたの脳に起きること « WIRED.jp)
そもそも母性って何でしょう?
このことについて考える前に、そもそも「父性・母性」の言葉の定義を見てみると…
父性は善と悪を区別して指導する傾向、母性は善悪の分け隔てなくすべてを包み込む傾向のことと説明している。(ウィキ:「心理学上の母性」)
この定義については、母親は、子どもと一心同体的な近さを感じるからこそ、子どもを肯定することで自己肯定もしているのでは。そして父親は1個人として客観的に見ているのでは、と個人的に感じました。うちの実家に限ってですが、なんとなく母は自分と子どもを同一視、あるいはその延長で見ているところがあり、父は人間として距離を取っている感じがするのです。大人になって、一個人として暮らし始めると、そんな母のスタンスに疑問を感じたり。
私は、そんな経験から結果的に「人と距離を置きたがる」ようになったので、娘とは また違った親子関係を築くことになると思います。
完全に「家庭による」としか言えないので、個人の感想ですが。。
子と長く過ごしても、やっぱり父性と母性は違うのではないか
そもそも、同性愛の方のほうが「な~んとなく」母性が強そうなのでは?などと邪推してしまいますが、子どもとガッツリ関わっているパパと、あまり関われないパパでは、子どもへの思いも当然違うだろうな、とは思います。
ただ、私も旦那氏も同じだけ育休を取り、面倒を見た経験上、やはり父性と母性は違うのではと思っています。
例えば、私はいつも無条件に可愛い可愛い言っており、子が何をしても肯定的にとらえる傾向があります。24時間、子どものことを考えがち。旦那氏はもっと客観的であり、子どもが騒いでいないときは別のことに集中します。他の子どもとAてぃが一緒にいるところを見ても、私は「自分の子どもだけ輝いて見えちゃう」タイプですが、旦那氏は家に帰って「あの子は(顔が)Aてぃより可愛いね」とか「あの子は同じ月齢だけどAてぃより発育が良くないね」等と客観的な意見を言うタイプ。夫婦の性格の違いもあるかもしれません。
ただ、保育園選びの時の件(→夫のオカン心と、私のオトン心 - poco blog)もあるので、私の方がオトン係?と思うこともないわけではない。
とはいえサンプル数1ですがね!
冒頭の研究、同性愛の父もいいですが、我が家のように子の面倒を見ている異性愛の父バージョンでも、ぜひやっていただきたいです。
母性と父性、奥が深いんだろうな。
皆さんのおうちではどうですか?