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仕事をがんばろうと思った理由

 

お世話になっていた方が会社を去った。いつも下らないことばかり言いながら、でも頭では別のことをフル回転で考えているような方だった。最後の日、やっぱり下らないこと(まあ下ネタ)を上機嫌で振りまきながら、ポツリと「この仕事はサイコー。日本で一番面白い。お前たちは幸せ者。」と、ちょっと寂しそうにつぶやいていた。

会社で働いていると、一般的に偉くなるにつれて現場仕事が減っていき、管理の仕事が増えてくる。現場の仕事が好きなこの方にとって、現場で忙しく楽しく働いている部下を見ながら、デスクや酒席にただ座っているのは苦痛らしかった。

私が仕事を始めたばかりの頃、まだ何も分からないままこの方にクライアントへ連れて行かれ、プレゼンさせてもらったことがあった。学生の盲目な熱でつくったプレゼンは、今となっては目も当てられないほど一人よがりなもので、熱いだけで製錬していない鉄みたいなものだと思う。(ちなみにそのプレゼンは恥ずかしいから何年も見ていない。)

結局、「やりたい」という熱意だけが伝わったようで、プレゼンは勝ったけれど最終的には全然違うものが実現した。今でも、この時のクライアントに会うとなんとなく心の中で赤面する感じだ。心の中だけだけど。

一般論、比較、市場動向などの「冷たい説得方法」は、仕事を続けているとどんどん身に付いた。クライアントがして欲しいことを直感的に分かるようになったので、話も早くなった。でも、この最初のプレゼンほど熱い思いで仕事をできないでいる。新しい仕事に取り掛かる時、ワクワクしながら「どうしてやろうか」と考えるけれど、次第に「前やった成功法/失敗例」がちらつくようになってしまった。毎年担当している案件ならなおさらだ。とりわけ今は、仕事を時短したい理由ができてしまった。

クライアントとしては、担当者が今までにない面白いことをやろうと、成功事例のある堅実なことをやろうと、目標が達成できればいいことが多い(というかそれがほとんどだ)。経験のあることをやらせた方が、労力も減る。安心できる。

それでも「今まで見たことない、面白いことやろう」といつも言っていたこの方が輝いて見えていたのは、自分に人を驚かせてみたい、感心されたいという気持ちがあったからだった。そして、この方が会社を去るという時、「そういえば自分はそうだった」といまさら思い出した。それは上司が求めている範囲外のことで、そうすることで何かが良くなるわけではない。でもなんとなく、世界の片隅で自分の考えた何かが、世界の全然知らないところで「ほー!」と思われるのはやっぱり楽しい。

そういえば、子どもができてから、自分の表現欲がすっかり子どもに吸い取られた。何か子どもに働きかけると、全力で返ってくる。この体験をしてしまうと、「世界の片隅から世界のどこかへ」コミュニケーションは魅力が落ちてしまった。

ただし、「考えること」と「実現すること」は筋トレみたいなもので、毎日続けないと錆びついてしまう。子どもが大きくなってから、「あ、仕事つまんなくなってるしつまんない仕事しか寄ってこない」と思ってももう遅い。ヤバイ。頑張ろう。

千鳥足の、勇敢な「辞めた方」を見送りながら、そんなことを自分に約束した。