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死ぬ前のことばかり考えている

 

最近、死ぬ前のことばかり考えている。死ぬ前と言っても、臨終のときというよりは、老後で体が思うように動かなくなって、思考もゆっくりになっていって、どこかの室内でじっとし始めるようなとき。それが10年続くのか、ほどなくして死ぬのか分からないけれど、そういうとき。

これから20年くらいの自分は、人生で一番体が思うように動いて、お金もたくさん稼げて、遠くまで行ける状態なんだと思う。でも、いまいくら楽しくても、お金をたくさん稼いでも、死ぬ前になったらたぶん何もできない。そして、そんな状態はグラデーションを描きながら近づいてきて、気づいたらどっぷりそうなっているんだと思う。あるいは、病気や事故でいきなりそうなるのかもしれない。

あるドラマ中の、ガンで死にゆく老人の言葉を思い返す。「年を取ると、美しいものが周りを通り過ぎるけれど、どんどん速くなっていって、追いつけなくなる。孫の寝顔を見ていると、その寝息を捕まえて取っておきたくなる。でも、速すぎて捕まえられない。」

 

何となく、自分は「その時」のためにいま生きているような気がする。

 

死ぬ前は、自分が何をしてきたんだろうかとか、どういう存在だったんだろうかとか、そういうことばかり考えると思う。そういう時、今のように、「明日は何が起こるだろうか、やりたい」と思いながら死ぬことは、自分にはないような気がしている。なぜだか分からない。間違っている可能性ももちろんある。

 

その時に後悔しなくていいように、自分の身の回りの人にいい言葉を伝えたい。子供と色んな風景を同じ目線で見ておきたい。自分が考えたことを何かに残して、自分だけのためにそれを見返したい。そう思うようになった。

私は写真を撮ったり思ったことを記録したりするのが苦手だったんだけど、最近は「自分のためだけ」と思って、見返したらこっぱずかしいようなものでも意識して残すようになった。娘とパフェを食べている「いかにも」な自撮りだって撮る。

 

なんでそんなことを考え始めたのか分からないけれど、思い当たるのはいくつかある。

最近、若くしてガンで亡くなる方がよく目につく。同い年の人すらいて、お金がたくさんあって賢くて、力もあったような人もいる。何年もFB上でしか交流がなくなっていた友達がガンになった。毎日投稿される闘病生活をじっと見る。実は、何年か前、ガンで友達を二人亡くしている。頑張って頑張ったのに、最後は脱水しきったようにして亡くなってしまった。自分だけは絶対そうならないなんてことは、ないだろう。

最近、親と衝突した。前から意見が合わないことがよくあって、しばらくはお互い目をつむって何となく過ごしてきたのだけど、色々あって限界になった。私が激怒しているので、めったなことでは動じない両親も動揺していた。なるべくしてなったともいえるが、老いた両親にこんな気持ちを味わわせるのは、果たして正しかったのかいまだに分からない。自分が老いて、子供と取り返しのつかない言い合いになるのを想像したら、心が冷えた。両親と冷戦状態が続いている中、私には写し絵みたいにそのまま娘と自分との関係に見えている。両親が死ぬまでこのままなんだろうかと、心が重苦しい。たぶん、若い相手との諍いならこんな気持ちにならなかったと思う。

ERで働いている知人がいる。子供がたくさんできて、仕事が忙しいだろうにその子たちを連れて毎週末のように旅行に行っている。毎日死を見る生活と、むせかえるような生命感のある子供たちとの生活、頭の中ではどうなっているのだろうかと思う。彼とそういう話をしたことはないけれど、ずっと死を見ていると、強烈な生きている実感が欲しくなるのかもしれない、と勝手に想像してみたりする。

 

とんでもなく暗いことばかり書き連ねてしまったような気がする。

結果的には、「いまを全力で楽しむべし」みたいな明るい結論になっているので、まぁいいか。

しばらくは思い出づくりと思い出残しに精進する。人生は短いのだから、やりたいことは何でもやっておきたい。