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引っ越し話と、働き方が激動した5年間について

もうずいぶん前に感じるんですが、緊急事態宣言の日(!)に引っ越ししていました。

何度も「やめた方がいいのだろうか」「今ならキャンセルできるのだろうか」と思い、不動産屋さんや大家さん引っ越しやさんにも連絡取っていたのですが、どこも「やります」ということだったので、そのまま。引っ越しって1か月以上前に決めるので、2月末時点ではまさかウィルスで世界が変わるなんていうSFじみた事態を予想もしていなかったのでした。

 

果たして引っ越し当日に宣言(予告)が出て、「いよいよオワタ」という気分で引っ越し開始。気分は夜逃げ。地道にパッキングしていたので特に問題はなかったのですが、やはり大ごとなので、新居班(わたし)と旧居班(夫氏)で分かれて1日作業でした。7年ぶりの引っ越し、たかが200mしか移動しないとはいえ、想像の10倍疲れた。ものが少ない方と思っていたけれど、ずいぶん捨ててもまだあります。

引っ越しやさんは部活の先輩キャラの青年で、中年たる私たちの方が「ハイ先輩」という気持ちでついていきました。引っ越しやさんがさわやかに去った後も、片づけは山ほどあります。暗くなってからも、段ボールの山の前でいつまでも開封作業をやめられない私を夫氏が引きずっていき、ご飯を食べたことを思い出しました。引っ越しで2キロくらい痩せた気がする。もう思い出したくない…。引っ越しは当分いいです。

 

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旧居、見つけたときは「ちょっと背伸びした家賃だな」と思いながら、でも眺めがいいし、バルコニーで子供が遊べるかも!と思って思い切って選んだものでした。

夫氏は起業したばかりで、自宅の1室を事務所に使っていました。スタッフも出入りしていました。

娘は、一人で過ごせない、よく泣く赤ちゃんでした。

私はワーママが今ほど可視化されていない頃のワーママで、「保育園落ちた日本しね」というネット投稿が社会問題になっていました。男性の1週間以上の育休取得率は1%台。今はどれくらい増えたんだろう?とにかく、普通に見かけるようになりました。懐かしい!この頃のことを思い出すと今でもウルっときます。ブログを一番書いていたのもこの頃だったなー。最初は夫氏への事務連絡だったのに、次第にワーママブログに。はてなさんには感謝したい。

家は保育園があって、駅前で、便利なので長く住んでいたんですが、去年家の前にビルが建っちゃって、それで重い腰を上げました。新居はもっと気に入ったので、ビルが建ってくれてむしろ良かったくらいかも。

 

新居もバルコニーの広さで選びました。

旧居は60平米以上バルコニーだったけど、さすがに使い切れないことが判明したので、新居はバルコニーがもう少し狭くて、室内はもう少し広くて、それから眺望がいいところに。ほとんどリモートワークとなった今、環境がよくなって助かりました。毎日バルコニーに出て、新調したカフェ家具に座って仕事しています。何この天国。

 

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引っ越して思ったことは、時代の激動っぷりです。

夫婦共働きはすっかり定着して、価値観がずいぶん変わりました。飲み会の強制、ハードワークも、いろいろな事件をきっかけに唐突になくなりました。挙句今はリモートワークが定着しつつあるですと…!?衝撃を覚えるレベル。

 

ウィルス蔓延で移動や消費が制限されたことは、私は全く想像できなかったことですが、これをきっかけに古い事務手続きや「とりあえず会って話そう」みたいな習慣がなくなりました。もう少しだけ短かったらここまで激変しなかったと思うのですが、まる2か月以上もこの環境だと、ちょうど月を3回またぐので新しい習慣が定着しやすかったんだと思います。ビジネス環境的には冬の時代ですが、単純に暮らし・仕事環境という目線で見ると、10年前よりはるかに楽になった気がします。ちょうど昨日、その雑感を書いたところ、自然とタイトルは「楽に暮らす」になりました。

 

これからどんな時代にしていくべきなのか、まだまだ模索中ではありますが、なんとなくの慣習や意味のない役割分担に囚われないようにしていきたいです。