大雪の中、都知事選が終わりましたね。
しかも大差で。
我々が関心を持っていたのは、
待機児童の解消でもなく、少子高齢化対策でもなく、
実は原発問題一点でした。
讀賣でも「非現実的」と批判されていた、細川氏の「原発即時0」ですが、
それなら現実的な「脱原発」、どうやったら実現できるのでしょうか?
もともと原子力発電自体、どれだけ安全に運用しようと、最後に残る放射性廃棄物は埋め立てるしかないという「未来に負の遺産を残す仕組み」です。
それを次々に建ててしまい、
大事故を起こしてしまったにも関わらず
「温存させながら代替エネルギーを探す」という
いつ終わるか誰にも明言できない、方針とも言えない方針で進もうということになりました。
実はフクシマ後も原発を日本企業に発注する向きがあるそうです:
舛添氏当選を伝えるBBC News記事が興味深い。記事のタイトルからして原発容認派の舛添候補が当選と訴求しているし、記事の中身も不安定ではあるが、今回有権者が原発容認を支持した事を強調している。イギリス政府は近い将来顕在化するだろう化石燃料の枯渇対策として原発の増設を予定しており、安全性の面で評価の高い日本企業に発注予定である。日本国内での原発存続の是非が焦点となった今回の都知事選結果に英国が興味を持つのは当然の成り行きと考える。(一部抜粋)
このBBC記事が興味深いのは、
舛添氏が「自分は脱原発」と公言しているにも関わらず
記事見出しで「Pro-nuclear(原発推進派)」とされている点。
海外から見れば、日本の民意は原発肯定にしか見えないんですね。
そもそも、企業は、とりわけ近年「昨年度比」という短期スパンでしか成果を評価できません。
原子力発電が使えなくなり、原材料費・燃料費のコストが上がる。
国際的なコスト勝負ができなくなる。昨対比売上が落ちる。
そのような視点に立つと、確かに「即時原発0」は、乱暴な政策に見えます。
そして、それが有権者の大部分を占めている考え方です。
ほとんどの人が働いており、日本企業でつくられている多くの商品が国際市場に出ていることを考えれば、当然かもしれません。
遠くで起こった大事故より、明日の我が社の売上でしょう。
いま、全て廃炉にするとなると、
それを安全に維持するだけでコストがかかります。
廃棄物処分もコストがかかり続けます。
原子力発電が無ければ火力発電も限界ですから、新しく建てる事も必要でしょう。
石油代。ガス代。
代替エネルギーにも膨大なイニシャルコストがかかっています。
いま、原発を止めることにより石油代に使われている税金は、毎年4兆円だそうです。
田母神氏は、それを国民のために使おうということを主張していました。
五輪招致にも成功し、
起業の業績も上向き加減。
人々の消費意欲も戻ってきた。
そんな空気の中で、勢いを削がないでほしい、という民意の表れだったのかもしれません。
舛添さんの主張も、「世界一のオリンピック・パラリンピックだったと言われるような街にしたい。」という、都民の希望や誇りをくすぐるものだったと思います。
ただ…
事故は実際に起こりましたし、そこに核燃料がある限り、また起こせるものです。
いくら高い技術力があっても、ひとたび天災・人災が起これば人の力で抑えられず、
埋め立てるしかないゴミを出し続ける資源を使い続けるべきなのでしょうか?
石油代がかかることによるマイナスは、原発事故が起こることによるマイナスを凌駕しているのでしょうか?
どう甘めに見積もっても、そうではないと思うのが「普通」だと思うのですが。
そういう、「普通」の目で見られる人は、雪で出てこれなくなったのか!?と冗談ながらに思いました。
あるいは、「いつかは誰かが原発をなくしてくれるんだよね?」というなんとなくの期待があるのでしょうか。
石油はいつか枯渇するに違いないから、でしょうか。
まさか、(我が家のように)電気代があがるのがイヤだとか。笑
原発事故直後に出回っていた動画作品を思い出しました。
原発事故が近辺で起こり、ガスマスクでしか外出できないようになった東京を描いたものです。
この作品を初めて観たとき、私に子どもはいませんでした。
作品自体のメッセージの良し悪しは置いておいたとしても…
子どもがいる今、原発は、合理的に考えるべき、ただの景気や利権の問題ではなくなりました。
生死の問題としか思えないのです。