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映画「ルナシー」観た

 

映画の「ルナシー」を観たので備忘録を書きます。「ルナシーみる」と言っていそいそとDVDを仕掛けに行っていたら、夫がすかさず「きーっ、みーっ、をーっだーきーしーめてえええええ」とキモく河村氏のマネを始めたので、結婚して良かったなと思いました。

ヤン・シュヴァンクマイエル「ルナシー」 [DVD]

 

あらすじ

精神病院の職員に拘束される奇抜な悪夢をみたジャン・ベルロ(パヴェル・リシュカ)は、無意識のまま大暴れして宿の部屋を滅茶苦茶にしてしまう。しかし、たまたま居合わせた侯爵(ヤン・トシースカ)が弁償しジャン・ベルロを自分の城へと招待する。翌朝、侯爵は発作を起こして死んでしまうが、再びよみがえって皆の前に現れる。(yahoo!映画)

不条理あり、黒魔術あり、精神病院での乱痴気騒ぎありの大変な映画でした。切ったお肉が並んで踊る、ストップモーションアニメ(実写)がちょくちょく出てきます。「狂っていないとはどういうことか?」「自由とは何か?」について考えちゃいました。

表現のレイヤーが多く、演出は細部の細部まで凝っていて、それらが一貫してメッセージをぶつけてくる、そんな映画。エログロですが、そういう要素に関係なく人生で忘れられない1本になりました。

以下、詳細なストーリー付きの備忘録。これから観る人は閲覧注意^^

 

 

 

生肉が踊り、人は狂う映画

主人公のジャンは精神病院で母を亡くし、自分も心を病んでいる青年です。そんなわけで、最初は異常な人に映るのですが、次々とジャンよりはるかに「おかしい」人々が出てくるので、気づけばジャンに感情移入しながら見ていました。

映画の随所で生肉や目玉がストップモーションで可愛く踊るシーンが挟み込まれます。最初は意味が分からないのですが、ストーリーを追うごとに、生肉が比喩ではなく本当に人そのものに見えてきます。

 

自由主義と快楽を追い求める「侯爵」

侯爵は、滞在先のホテルでジャンを気に入って邸に連れて帰ります。この人が「第一変人」。邸の地下室でキリスト像に釘を打ちつけ、十字架型のケーキを食べながら性行為にふけるという黒魔術的なことをやり、「セラピー」と称して一度埋葬されてから生き返って見せるなど変態すぎます。ジャン、さっそくついていけない!小間使いの男も、黒魔術に参加する男女も押しなべて理解不能な行動をしているように見えます。「この人達頭おかしいんじゃないか」というこの感じが、後々違った意味で効いてきます。(ちなみに、自分が無宗教なせいか、ここでの侯爵のセリフなんかは背徳的な感じがあまりしませんでした。たぶんキリスト教の方の方が意図通り観賞できると思う。)

 

究極の自由が見せる地獄

ジャンは侯爵に誘われて精神病院に行きます。そこでは精神病患者を自由にさせるというセラピーが行われています。画的には、羽毛が飛び回る真っ白な院内を、奇声を上げたり流血するまで頭を柱に打ち続けたりする、白衣だったり裸だったりする患者たちがウロウロしている感じ。なぜかとても楽しそうに見えるのが面白い所です。とりわけ印象的なのは、アートセラピーと言って裸の女性にペンキを投げつけていくシーンです。それまでぼやけたような色合いだった画面に原色が飛び交い、次第に混ざって、またぼやけたドブのような色に。そう、究極の自由が見せた地獄は、霞みがかった、そしてどこか楽しげな地獄でした。

 

自由と抑圧

侯爵に「囚われている」女を助けるため、この病院に入院するジャン。「地下室に本物の院長たちが閉じ込められている」と女から聞き、彼らを解放します。院長たちは精神病患者たちを追い立て、部屋に閉じ込め、以前と同じようなきつい統制下に置きます。「精神が弱っているのだから、体も同じく弱らせるべきだ」という論法で、手足を切ったり舌を切ったり…。これは実際に昔行われ、今は禁止されている療法の暗喩かも。変だけど何か楽しげだった院内の雰囲気は既になく、恐怖と抑圧に暗く押し込められているようです。

 

狂っていることと、狂っていないこと

この映画を観ていると、狂っているということがどういうことか分からなくなってきます。院長たちの行動がおかしいのか、やはり患者がおかしいのか。そもそも鑑賞者たる自分だって、観ているうちに考えが変わったりしてアヤシイもんです。自由を追い求める地獄と、抑圧される地獄。結局、今生きている社会はこの2つの間のどこかにあって、ふとしたことでそのどちらかにグーッと偏っていってしまう、そんな危うさのある世界なのだと思います。狂っているかどうかは、自分ではなくその時の環境が判断するのでしょう。

最後のシーンは、スーパーに並んでいるパックに入った肉が呼吸しているというもの。それはまさに、社会に飼い慣らされている自分なのかもしれないと思わされるのでした。

 

おまけ:細部について

  • この映画は細かいところまで面白くて、例えば最初に侯爵がジャンを邸に連れて行くシーンは、車窓から喧嘩している人や燃える木などが次々と映し出されます。ここで侯爵はいたずら心で豪雨の中ジャンを放り出し、また迎えに来るという行動を起こします。勝手なもので、ジャンは何か知らないけど偉い人に救い出されたので安泰だ、と思っていました。つまり、車窓のシーンは悲惨なニュースのようなもので、こちら側は安全である、と。一般的な映画ではそういう「第3の力に助けられる」というシーンが多く、それに慣れてしまっていたためかもしれません。ここで面白かったのは、「あちら側」と「こちら側」の境界はないのだ、と思わされたことです。のちにそう思わせるシーンがたくさん出てくるので、最後にやっと理解したのですが…。冒頭からそうなっていたのですね。
  • また、侯爵の小間使いの男がプレーしているボードゲームですが、これは後に、院長が戻った精神病院の「13の療法」を描いたものです。それを見れば、侯爵が受けた第13療法が「去勢」であることが分かります。メイキングを見ると、監督のヤン・シュヴァンクマイエルがこのボードゲームのルールまで細かく決めていることが分かります。スゴイです。
  • 邸で行われた黒魔術の儀式は、実際の黒魔術の経典から取っているようです。侯爵役のヤン・トシースカはキリスト教徒のようで、メイキングで不安そうに気にしているのが不謹慎ながら興味深かった。しかしよくこの役受けたなあ。彼は不快でいて吸い込まれるような高笑いなど、「カッチリとしていてかつ気が狂った演技」が素晴らしいと思いました。侯爵は、なぜ侯爵なのだろうか?というのは、最後まで分かりませんでした。そういえば、偽物の院長はたくさんの付け髭を持っていましたし、侯爵も嘘くさいかつらを被ったり取ったりしていました。これらの「表面的な権威」みたいな演出は、生身の人間であるところの踊る生肉と良い対比を作っています。
  • 女性があまり出てこない映画です。唯一キャラクターを持って出てくるのは、院長の愛人でありジャンを惑わせて院長たちを解放させる女。この存在も、イマイチ分からなかったものの一つです。その場その場の環境に呼応して、うまく馴染んでいるように見えますが、終わってみればやりたいことは一貫していたのね。ジャンの行動源になる存在ではありますが、「女ってこんなもの」という話にも見えないしなあ。まあ、いいか。

 

 

おしまい。

 

こっちは河村氏の方のルナシー。ルナシーって狂気と言う意味なんです。

LUNA SEA 25th Anniversary Ultimate Best THE ONE

 

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