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生活のダウンサイジング、うん。

Topisyuさんのエントリーが私にとってとてもタイムリーなものだったので。私の暮らしのダウンサイジングとダルグロウスの記録を書きます。

 

第一形態:はっちゃける

私は子供がいない頃、周りが散財タイプだったことに引っ張られてかなりお金のかかる生活をしていたような気がします。好きなブランドのバッグや靴、流行りの店での食事会、ホームパーティーに行くにも高いお土産を持って、新しい服で…。旅行にも行ったし、仕事柄飲み会も多くて、無駄にお酒を消費していました。キラキラOLっぽい投稿をフェイスブックにして、中見はオッサンなんだけど~とかうそぶいてましたね。ええ、恥ずかしい記憶です(*=_=*)周りが「貯金なんかないよ」と言ってるのを真に受けていましたね~。冷静に考えると、そんなはずないんだけど。いや、もしかしたら…。う~ん。どうなんだろう。いまだに遊んでる層の実態はよく分からん。いずれにせよ、社会人になって小金を持つと一定数出現する「浪費=キラキラと勘違い」病だったように思います。身近にそうなっている若者を見ると、こういう顔→(´ー`)を止めることができません。(´ー`)イインダヨ

 

第二形態:落ち着く

子供が生まれると、物理的にできないことが増え、トレンドを追いかけることにも興味がなくなったので自然にお金を使わなくなりました。付き合う人も変わりました(というか減った)。今考えると、あのころの散財は何だったんだ┐(´-`;)┌というところまで来て、「生活のダウンサイジング」的には大成功なのかもしれません。

以前は気分に合わないモノはどんどん捨てる方がいいと思っていましたが、モノを買わなくなると「捨てたら終わり」なので気軽に捨てられなくなりました。新しく買うものも吟味しまくるので、その手間を考えると既に持っているものをどうにかこうにかして使った方がいいかな、と…。片づけしながら、あの頃何気にいい物買っているなあと遠い目をすることも。もう買う理由もないし、よっぽどじゃないと買わないだろうな~。安くて買いやすいモノもたくさんあるけど、前買っていたモノの方が素材は良かったりして、なんだか踏ん切りがつかない感じです。

 

第三形態:別の意味で弛む

ところが…。共働きが軌道に乗ってくると、今度は忙しさをお金で解決するのに慣れてきました。昔の消費と違うのは、自分なりに計算している所です。タクシー乗るのも「地下鉄に二人乗るのと数百円の違い…時間は半分…」とか、外食も「家で作るのと2千円程度の違い…準備も片づけもいらない」などなど。理由を探し始めるとそちらを選ばない手はなく、地味に生活費が再上昇してきたのです。実際に、超多忙同士の共働きで子供二人を育てている先輩が、「金があればどうにでもなる。」と豪語していました。確かに時間はお金で買えます。普通の贅沢と違うようで全く同じ、こちらもキリがありません。

 

生活のダウンサイジング、うん。

もう気づいてしまいました。自分はお金に関して「相当ゆるい」です。今の収入を維持できるのか分からないし、夫も両親も突然倒れるかもしれません。私一人がコケても、自分の面倒だけ見ていればいい時代が終わっています(数年前からね!)。ようやく気づいたか。

とりあえず、しっかり者の夫を巻き込もうと「私は生活をダウンサイジングしたいんや!協力しろおおおお」と宣言したところ、「お、おう」となっていました。びっくりだよね。まず君からダウンサイジングしろよっていう。がんばるよ!

 

余談。

学生の頃、いつも面白いことを言う先生が「僕はそこそこに幸せな感じなので、少しずつ生活レベルを下げていきたい。」と仰っていて、当時意味がよく分かりませんでした。今思えばこれも生活のダウンサイジングの話だったんでしょうね。ひとつひとつの物事を大切にする、質素で豊かな暮らしに憧れますが、まだまだ道は遠いようです。油断するとブクブクゆるんでいく自分の危険な人間性に気付けたので良かったです。これもまた成長?/(^o^)\