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ノクターナル・アニマルズ(2016年、アメリカ)

ノクターナル・アニマルズ (字幕版)

ファッションブランドで知られるトム・フォードの監督作品2作目。アートな映像にめっぽう弱いので、絶対好きだろうなーと思ってみてみました。やはり好き。

主人公の女性(エイミー・アダムズ)が暮らす、いかにもトム・フォードらしいシャープでダークなトーンの家がまずかっこいいし、スタイリングも今まで見たことないエイミー・アダムズを見ることができて楽しかった。かっこいいけど寒々しい感じのする世界観に孤独な女性の暮らしがはまっていて、自ブランドはこういう見せ方でよかったのか?と疑問を感じましたが…。スタイリッシュな皮を被った空っぽの心。素朴な頃の方が幸せそうなのですよ。

 

主人公はけっこう鈍い女性で、いい感じに嫌な女に描かれています。夫に良かれと思ってけっこう失礼なことを言ったり(そして浮気される…、)、ギャラリストなのにアートのことを何一つ理解しようとしなかったり。この人物像はかなり嫌だったんですが、エイミー・アダムズは好きだし、悲し気な大きい瞳にキュンキュン来るので、本当は優しくてシンプルな人物が母親に毒されているのだ、と思わせてくれました。

 

さて、そんな彼女に元夫から送られてくる本が「ノクターナル・アニマルズ(夜の獣)」。素直に考えると、元夫は彼女のことをノクターナル・アニマルズと呼んでいたわけで、作中に出てくるノクターナル・アニマルズっぽい人物といえば暴漢のレイたち(複数形だし)。なので、「暴漢たち=子供を殺して元夫を捨てた主人公」と思われます。主人公の妄想の中では、「家族を殺された男=元夫」で、母娘は主人公と現夫との赤毛の娘にそっくりなのです。となると、現実世界で見るアートは「豊満な女たちのダンスと死=貪欲で不幸な主人公の人生」、「いくつもの矢で射貫かれた牛(そして豊満な女たちの食料…)=傷ついた元夫」、「Revenge=元夫からの復讐」となり、ラストは約束をすっぽかして復讐したちっちぇー男という感じでしょうか。制作者インタビューを読むとやはりこっちが正解っぽいのですが、この話だと、ごめんなさい、ラストがつまんないなと思ってしまいました。それなら、会う約束などせず、本が売れて成功者になり、それを遠くから見る主人公…とかの方が絶望感があると思いました。

 

ただ、元夫のメールによると「今までの作品とは違う」と言っているのが気になります。主人公は元夫に「自分のことしか書かない」と言っていたことから、今回は違う可能性があります。例えば、「妻と娘を殺された無力な男=意思のない主人公」で、「暴漢に中指を立てたりして抵抗し、殺された家族=元夫と堕胎された子供」。無力な男がモーテルに帰って普通に寝てしまうところは、「家族を捜し歩かんかい!」とかなりイラっとしたのですが、なすがままでボンヤリした人物像は主人公に似ていると思いました。

そう考えると、「無力な男を武器も持たずに思い通りに動かした暴漢=ブルジョワの母親」、「男を誘拐して遠くに置き去りにした暴漢=現夫」とも思えます。さらに妄想すると、「正義感のある警官=元夫」で、この本自体がガンで死にそうになった元夫から、主人公を鼓舞する目的で描いた本とも解釈できます。警官はやけに存在感がある人物なので、何か大事なことを表現しているように思えるんですよね。現実世界で元夫が現れなかったのも、死んでしまったからと考えれば納得(警官が最後に現れなかったことがリンクしており、気にかかっていたんです)。

こっちの方がワクワクするんだけど、アートとの関連性が解けませんでした。ただ、冒頭に示した3つ以外にもアートはたくさん出てきており(お尻とか銃を向けられる男とか)、主人公の思い込みによりアートが目についているわけで、そもそもがミスリードということにも思えます。

 

この映画のキャッチコピーは、「元夫からの贈り物は愛か?復讐か?」なのですが、愛の場合は後者、復讐の場合は前者ですね。色々考えてしまう映画は大好物です。