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20センチュリー・ウーマン(2016年、アメリカ)

20 センチュリー・ウーマン(字幕版)

20世紀になる前にガンで死んでしまった女性の話。鑑賞者側は女性が死ぬことが分かった上で、1980年くらいに起こった思春期の息子とのすれ違いを見守る、なんとも変わった映画だった。冒頭から女性(ドロシー)と息子(ジェイミー)がその当時の声で、「◯年〇日、こんなことが起こる。」というような、どういうタイミングで、どういう意識で語っているのか分からないナレーションをする。この不思議な感覚に冒頭からつかまれてしまった。

 

話はちょっとシュールなんだけど、人物造形は徹底してリアルだ。ドロシーの家に下宿しているパンクな雰囲気のアビーと、毎日ジェイミーのベッドに寝に来るジュリー。ドロシーは、思春期になって接し方が分からなくなってきたジェイミーの面倒を、この二人の女性に託す。ジェイミーはそれを気に入らないものの、二人から影響を受けながらフェミニストに育っていく。

 

ジュリーの、いかにもクラスに一人はいそうな小悪魔ぶりも良いし、アビーの濃厚なフェミニンさも良い。ドロシーはどこか男性的で固い雰囲気なのだけれど、なぜそうなのか最後になるまで分からない。

それぞれにタイプの違う魅力的な女性たちで、彼女たちに囲まれて育つジェイミーが意外とまっすぐ育っていく様子が何とも愛おしい。それぞれの人生がどこか変に見えるし、自分たちの生き方に自信がないように見えるのが良いのだろう。ジェイミーは「正解はない」ということと、「相手のことを考える」ということを学んでいったんだろうと思う。

 

個人的に一番気に入ったのは、冒頭と同じようにそれぞれの登場人物がその後の人生を語るシーン。とても濃厚に見えた彼らが一緒に暮らした時間は、実はほんの一瞬で、その後にも長々とそれぞれの人生がある。ドロシーは亡くなってしまうが、そのシーンはなく、二人乗りの飛行機に乗って飛び立つシーンが最後だったと思う。

大切な人同士のすれ違いや人生の葛藤を描いているものの、あまりシリアスになりすぎず、正解を求めないライトな雰囲気が心地いい。

 

ポスタービジュアルに現れている通りだが、オシャレな映画でもある。華美ではないけれどどこかオシャレな内装や、登場人物の服装も一見の価値あり。エルファニングは相変わらずイノセントな雰囲気で、ペールブルーのブラやドレスが印象的だった。