※プンスカしながら書いたので我ながらうっとうしいです^@^「あらあらまあまあ…」と目を細めて読んでね☆全て私見ですのであしからず!
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日本でアトリエ系建築家として大きいプロジェクトを設計するのはすごく難しくなっている。この記事にも書いたが、
プロポーザルに参加する敷居が不当に高くなってしまい、今より敷居が低かった時代に大型物件を経験できた世代(40x歳以上)か組織設計事務所でなければ、スタートラインにも立てないからだ。
参加資格が厳しくなったのは2005年の姉歯事件が直接の原因と言われているが、姉歯氏も「経験ある一級建築士」であったわけで、このような経験の敷居を設けることに何ら意味がないことは明らか。経験がないことが不安なら、「経験あるバックアップ体制をとれること」を要綱に足せばいいだけの話だ。
今の状況は、単なる若手のシャットアウトであり、もっと言えば建築家が大型物件を国内で作ることは、今後なくなっていくという未来を確かにしただけだ。
日本の現代建築は緩やかに死んでしまうだろう。日本の街はますますダサく、つまらなくなっていくだろう。
これがどれだけのロスであるか、誰か真剣に考えたことはないのだろうか。今現在、SANAA然り隈研吾然り、国内外で実績のある建築家が国内で魅力的な公共施設をつくっているが、未来にはこんなこと自体がなくなるということだ。アホかと思う。
組織設計事務所ががんばる?えらそうなことを言えば、「サラリーマンにブレイクスルーはできません」。何も新しいものは作れない。ごめんね!だって、才能ある人がいたとして、新しいアイディアがあったとして、それを受け入れる度量がありますか?
組織設計事務所に属しながら、個人名で活躍することを許すようになれば、ひょっとすると…かもしれない。あるいは、アトリエ事務所を子会社として持てばいいんじゃないのかな。
組織設計事務所と組んでプロポーザルができるのであればいいが、組むメリットを打ち出せる「助っ人外国人」のような若手建築家は稀だと思う(まあ、いない)。あるいは、若手を応援することだけで構わないという仏のような大手事務所にパトロンになってもらうか。これもまあ、万に一つという話だと思う。(冒頭の記事のときは、それを「建築家のいい人戦略」という書き方で書いたけど、なんとも消化不良だった。)
民間事業という手はまだある。利益追求ではない、デザインの価値が分かる事業者の増えることを願うばかりである。古きよきコネも、もちろん存在する。ただこれは、多くの人には閉ざされた道ではある。(そしてこれはまさにいい人戦略の範疇。)
現在残されている道は、海外コンペだと思う。参加基準が日本よりも開かれている国は多いので、国外で実績をあげて日本でのプロポーザル参加資格を得るという方法がある。海外で活躍できたら、わざわざ日本で頑張る意味もなくなってしまうけど。
そういう国だからしょうがないんじゃ!
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そんなわけで、実際に海外で活躍されている若手建築家の軌跡を見てみようと思う。なんとなくの情報で選んだので不確実。他に見落としがあれば教えてほしい。
①藤本壮介(1971)
②重松象平(1973)
③石上純也(1974)
④田根剛(1979)
⑤その後はまだない
若手?と思われるかもしれないけど建築家の若手ってunder45くらいだと思う。姉歯の件もあり、アラフォーでくくってみた。
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①藤本氏はまさに「開かれたコンペ」がまだあった時代に青森県立美術館、安中アートフォーラムで実績を残し、その後国内で作品を作りながら海外コンペまで活躍の場を広げていった。ギリギリ国内でキャリアをつくれた最後の人だといえると思う。
海外に出たきっかけは意外にも"final wooden house"という小さい作品だったと本人が語っておられる。
イギリスのアーキテクチュラル・レビュー誌が主催するAR Awardは、毎年日本人の受賞が常連となっていますが、このWAFは、元AR編集長のポールさんが始めたもの。僕自身もここでfinal wooden houseがカテゴリーウィナーになったことで、世界的な知名度が上がりました
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2015, 3月 19
final wooden house はとても小さくてローコストなプロジェクトでしたが、そこからでも世界は開けていきます!。当時はバルセロナで行われていて、各カテゴリーの勝者は、バルセロナパビリオンでのディナーに招待されたんですよね。
— Sou Fujimoto 藤本壮介 (@soufujimoto) 2015, 3月 19
~国内でキャリアを積んだ建築家の壁~
②重松氏は最初からOMAでキャリアを始め、現在OMAニューヨークの代表なのでいわゆるアトリエ系建築家とは違う。情熱大陸で「こんな日本人建築家がいるんだ!」と思った方も多いと思う。
③石上氏はSANAAでキャリアを始めたが、独立後はどちらかというと現代アートの文脈から作品を発表し続けていった。発表の場も、ミラノサローネ、ヴェネツィアビエンナーレなど。KAIT工房を設計できたのは大きいが、国内のプロポーザルには特に結果を残していない。出してもいないのではないか。
現在、オランダのビジターセンター、台湾のフェリーターミナル、コペンハーゲンの平和の記念塔、シドニーのパブリックアートなど海外での活躍が目覚ましい。どれもまだできてはいない。
~国内で教育を受けた建築家の壁~
④田根氏は高校時代プロサッカー選手を目指していたが、けがのため大学から建築を志したという異色の人である。(経歴が面白いのでこのWIKIを読んでほしい)
東海大学部卒だが、間にスウェーデンに留学している。27歳という若さでエストニア国立博物館のコンペで優勝し、その後も欧州で活躍しつつ、2012年には東京の新国立設計競技場で入選したことで国内の知名度が一気に高まった。まさに逆輸入建築家だ。この中では一番若いけど、個人名で実績を最も残しているのはこの方だろう。
妄想だけど、田根氏の「国際志向」は、プロのサッカー選手を目指していた経験が影響していると思う。サッカーは、海外チームに属することが一つの目標になっている。そして、国際大会の時に日本に逆輸入されていくのだ。
⑤今後、大型案件を若いうちからやれる日本人建築家は、間違いなく海外で教育を受けて海外で実績を上げた人になっていくと思う。日本の教育が悪いわけでは全くない。卒業後の進路の問題だけだ。いくら国内でお金のないプロジェクトをリノベーションとかワークショップとかで頑張っても、手間ばかりかかって建築なんて作れない。あるパトロンの名言から「ワークショップなんかで名建築は作れない」これ金言。大型案件にこそ建築家としての舞台が用意されている場所で頑張った方が近道。
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日本製ビャルケ・インゲルスは生まれない
国外で勢いのある建築家といえば、BIGのビャルケ・インゲルス。彼は石上純也と同い年だ。彼がOMAをやめて設計事務所を立ち上げたのは31歳の時。その頃から大規模なプロポーザルで実績を上げ続けている。
日本で彼のような人が出るか?しつこいけど出ない。
早く成長したいなら海外コンペを取れるような道筋を考えるべし。