2時間40分、長いはずだが長く感じなかった。間違いなく人生で観てよかった作品になった。
ビフォア・サンライズからビフォア・サンセット、ビフォア・ミッドナイトの3作品で、20年に渡るカップルの姿を実際に数年おきに撮影して描いたリチャード・リンクレイター監督の最新作。この作品はさらにコンセプチャルで、なんと一つの映画の中で実際に6才から18才までの12年間を撮り続けている。可愛らしい美少年だった主人公は、陰のある魅力的な若者に育つ。彼の「12年間」はそれなりに波乱万丈だが、例えば会社の隣の席の人の人生だとしても驚かないくらいの内容だ。それだけに、却って「当たり前の人生の全て」が描かれていたように思う。
少年は6才の頃たいそう美少年なんだけど、ホルモンバランスが崩れる中学生時代はそれなりの醜さみたいなものもあり、こっぱずかしい自意識過剰な高校生時代も経て、終盤はなかなか魅力的な大学生に成長する。少年は母に伴われて何度も転校するが、どこにいても極端ないじめられっ子にもいじめっ子にもならず、「ちょっとイケてる転校生ポジション」を獲得することもある。パワフルで前向きな母、賢くてやんちゃな姉、売れない歌手で子供たちとちゃんと向き合うことのできる実の父など、周りが良い関係性の家族で固められており少年も落ち着いている。
恋多き母に連れられて色んな父親と場所をはしごしていき、あらゆるタイプの「ザ・アメリカ」という家庭状況が描かれるのが面白い。毎朝国旗に向かって国家を歌い、手を胸にあてて宣誓文を読み、州旗にも宣誓するのを日本人が観たら驚くのではないかと思う。休日は家族で銃の練習をする風景もあった。銃の練習が一般的か分からないけれど、テキサスとはそういう場所なのかもしれない。
何人かの役者や老けメイクを使って長い時間を表現する映画はあるが、この映画で感じる「時の流れ」の質は全く異なる。久しぶりに会う同級生を見て、変わらない笑い方や仕草を見て昔に戻ったように感じたり、小さいしわや体臭の違いを感じてやはり時が経っているということを実感したりすることがある。ここでの時の流れは、「いま、この一瞬」ではなく連綿とつながっており、線でも面でもなく多次元的なものだ。この映画でも同じことが起こっていて、少年はどんどん見た目が変わっていくんだけど、どこかで「同じところ」を探している自分がいた。ぽっちゃりした幼児だった姉の首がすっと伸びて、大人びた表情を浮かべつつも性格は変わらなかったり。繊細な印象の若い母親だった母が、外交的で恰幅のいいアメリカ女然とした女性になったり。それでも、彼女の行き当たりばったりさや意思の強さは変わらない。父は歌手の夢破れて仕事もないが、徐々に資格を身につけ、職を得て、自分の家族をつくる。子供たちに正直で体当たりなところはずっと変わらない。
少年役で別の役者が出ている映画だと、「これは少年時代を描いているシーンだ」という理解しかしない。しかし、この映画では少年の時の瞳が大人になるまでずっとつながっているが、中身がどんどん変わっていくということが川の流れみたいにつながって感じられる。父も、母も、姉も成長していく。彼らには良いところも悪いところもあるが、長い間を見ているので愛情が湧いてきてしまう。
この映画を観て、ヒトは思ったより、そのヒトが同一人物かどうかに敏感なんだろうということに気付けた。そういえば、見た目をずいぶん変えても、後姿だけでも「同じ人だ」と分かるのはヒト特有の特技なのだそうだ。
カメラに熱中していくことになる流れも面白かった。私も根暗で周りと共感できない趣味を持った子供だったが、この少年と同じく、似た者同士が集まる「大学」という場所に出会って世界が開けたような感じがしたものだった。高校までの学校はつまらなくて、忙しいのに何もしていないような感じだったなあ。世界がすごく狭くて。少年が初めて大学の寮に行って、波長の合う人間が周りに集まっていることに気づくシーン。ああ、いま、とてつもなくワクワクしているんだろうな、と思ってまぶしかった。映画はそこで終わる。
何度も観たい作品だった。