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「アメリカン・スナイパー」の違和感

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

もう公開も終わるころかもしれないけど、映画「アメリカン・スナイパー」について思うところがあったので書く。つい先日、このレビューを読んでめちゃくちゃ同意して、


 

そういえば、と町山智浩さんのこのラジオを思い出して


これを聴いていた時に感じた違和感を思い出した。

 

以降ネタバレには全く気を配っていない文章になるので、気になる方は読まないでね。

 

 

 

***

 

 

 

超ザックリしたストーリーは、イラク派兵である優秀なアメリカ人狙撃手が、160人の「敵」を射殺し、脱退するもPTSDに苦しんで最後には同じくPTSDのある元軍人に射殺されてしまうというもの。

アメリカでは「英雄の映画だ」「いや反戦の映画だ」と議論が真っ二つになりながら、興行成績はむちゃくちゃいいぞ、ということになっていて、いわゆる「炎上するネットコンテンツ」と構造が似ている(この辺は冒頭にリンクを張った田中泰延さんのレビューに詳しい)。

それで、いったいこの映画の意図は戦争賛美・兵士の英雄視なのかどうなんだ、という話になんだけど、監督のクリント・イーストウッドはイラク戦争に反対しているということであり、「どちらかというと」戦争を美化も正当化もしていない「のではないか」、ということに、一応なる。

 

個人的な観終わった時の印象は、確かに戦争や兵士を美化するようなものではなかったと思う。

ただ、田中泰延さんが書いてらっしゃる通り、この映画は人によって右にも左にも取ってしまえるような描き方に終始していて、おまけに最後は「黙祷」または「自分で考えろ」と捉えられるような、不気味な沈黙で終わってしまう。確かに戦争を美化してはいないが、正当化していないか?というと、はっきり違うとは言えない。

 

ここでムッとなった方!作り手がどう考えたか、ではなく、映画館でコーラを飲みながら観ている普通の普通の人にとって、どう感じられるかという風に考えませんか?

意識の高い人が、自分と同じ見方ができる人をあぶりだすためのリトマス紙とするには、あまりに多くに観られた映画だと思う。

 

例えば、確かにこの映画は下記のような場面で「戦争に従事する人間の矛盾」を描いている。

・妻に進められて(?)セラピストにかかった主人公が、「自分が殺したのは全て野蛮人」「もっとたくさんの仲間を助けるために、もう少しやれなかったかと思っている」と答えるシーン。よく見ると主人公の目は泳いでいて、言わされているようにも見えなくはない。

・主人公は聖書を持ち歩いているが、同僚に「それは弾除けか?読んでいるところを見たことがない」と言われるシーン。主人公が幼い頃からこの聖書のモチーフは出てくるが、それが本心からの信心や国への忠誠心というよりは、ヒロイズムから来るものなのではないかという風にとれる。

・ついでに主人公が「自分が敵を殺した理由を、神に説明できる」と真顔で言うシーンも、それを聞いているセラピストの奇妙な表情を大写しし、印象に残る。もちろん、神に誇れるようなことではないだろう。

・入隊した弟が「こんな場所(軍?)はクソだ」と言うのを、「お前は何を言っているんだ?(こんなに正しい場所を?)」と見返すシーン。しかし、弟、何も間違っていない。弟は「マッチョで正しい(っぽい)兄」と比較したときの「ナヨくて人間らしい人間」として象徴的に描かれる。兄はこう見られたいというアメリカの姿、弟は生身の人間としてのアメリカ人、という風にも見える。

・戦争中、何度も妻とイチャイチャ電話、国に帰れば子供たちは平和に犬と遊んでBBQしている。だが、戦場ではイラク人の家族たちは全てに怯え、子供ですら戦争に加担させられ、拷問死しているシーンが描かれる。

・そもそも主人公は敵ではなく味方に、しかも戦争のせいでPTSDになった兵士に、母国で殺されるのが最大の皮肉だとも取れる。

・主人公がなんだか古臭く描かれている。最初「これ、かなり昔の話なのかな?」と思うほど古くて厳格なアメリカ家庭で育つし、おまけに青春時代はカウボーイだ。今どきの若者よりも、おじいさんが「いい若者じゃ!」と思いそうな主人公である。カウボーイから兵士へ、ヒロイズムを表現する舞台が変わっただけ、という風にも取れなくはない。

 

だが、「どちらかというと」主人公に共感し、スカッとし、かっこよく見えるシーンも多い。

・主人公は小さい頃から正義感にあふれ、タフで女性に誠実。仲間にも優しくてかっこよく、最後は英雄として国葬のように埋葬される。そこには、茶化したり自己矛盾を突き付けているような演出は、基本的にはない。あるのは上記のどちらかというと分かりづらい矛盾の描き方である。

・敵のキーマンである「虐殺者」ザルカウィは子供をドリルで痛めつけるような卑劣な男。イラク人のアジトに乗り込むと、捕虜の遺体を飾っておりグロテスクな趣味。一貫して主人公の目線で描かれているからでもあるが、アメリカ兵は一人一人名前と個性があるのにイラク兵は「狙撃手」と「虐殺者」以外はその他大勢。最後はあちこちからワラワラ湧いてくるあたり、ただのモブ。全体的にイラク人は文字通り「野蛮人」として描かれている。そんな描かれ方の敵を狙撃する主人公なので共感しやすい。

・狙撃手との交戦がスカッとする。2キロ先の見えない獲物を狙う、天才的なスナイパーかっこいい。

・「仲間側」として感情移入して観れば、決して仲間を見捨てず、遠くからの狙撃に飽き足らず前線にも参加し、仲間から「お前が仲間の勇気になる」なんて言われている主人公かっこいい。

 

上記はしつこく書いてある通り、「○○のようにも取れる」「このように描かれている(と思う)」でしかない。ただ、映画(に限らず表現物は)どのように受け取るかが全てなのだ。

まあそんなわけで、「正しい戦争のためのヒロイックな犠牲!卑劣なイラク許すまじ!」として観る人を責めることは、私にはできないと思った。そんな人には、この映画だけ見てニュースは一切見てないのね、と距離を置くことはあるかもしれないけど。

 

進んで戦争に参加してPTSDになっている主人公が、私には皮肉に感じた。「PTSDだからなんだ?目の前で食事も取れないほど怯えさせられているイラクの子供は何?」「あなたが殺した『野蛮人』は、夫も家も破壊されてどうみてもヤケクソになった女子供だったりしてますが違いますか?」

実際に存在した、もう亡くなった人に対して思うべきことではないけどね。

 

明確に「反戦・戦争を正当化しない」というメッセージを打ち出しているのは、例えば「ジョニーは戦場へ行った」であり「フルメタルジャケット」だ。(華氏911も含まれると思う。)「ジョニー」の悲惨さ、「フルメタル」の風刺性に比べて、この映画のなんと七色なことか!

これらに比べて、「アメリカン・スナイパー」はどっちつかずと言われても仕方がないし、むしろ明確なメッセージは「戦争は軍人の心を蝕む」という部分以外ないと捉える方が、素直な見方だと思う。「反戦」と捉えるか、「好戦(あるいはイラク戦争の正当化)」と捉えるかは、観る者にゆだねられている。「結局人は自分が観たいようにしか観ない」というのは町山智浩さんがラジオでおっしゃっている通りで、とりわけこの作品は「誤読」というよりは「そうとっても仕方ない(≒間違いではない)」という見方がたくさん生まれる映画なんだと思う。

 

以降、「反戦」を明確にメッセージしているアメリカ映画の紹介。他にもあると思う。 

ジョニーは戦場へ行った [DVD]

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↑鬱になる映画上位に入るであろう戦争映画。 四肢と顔を失った帰還兵が望んだこととは。

フルメタル・ジャケット [DVD]

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↑ベトナム戦争を皮肉った有名な作品。兵士たちが見たベトナム戦争の真実とは。 

華氏911 (期間限定版) [DVD]

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↑アメリカ同時多発テロのドキュメンタリー。 一番驚くのは、反響のあったこの映画が大統領選に全く影響しなかったこと。アメリカの闇は深いのだろう。

 

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