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年明けのご挨拶と、最近好きだった住宅

あけましておめでとうございます。

 

昨年は仕事もプライベートも比較的うまくいって、筋肉もついたし大満足な1年でした。筋肉が先なのか心の充実が先なのか分かりませんが、筋トレを始めてから性格が明るくなったと言われましたし、長年の悩みであった片頭痛も緩和され、食事にも詳しくなりました。仕事がうまくいったのも、そういう心の変化のおかげかもしれません。マッチョは世界を救わないかもしれませんが、もやしっ子だった私のことは救ってくれました。

2018年で一番「筋トレ」をおすすめしたい。

 

30年来興味のなかったメイクに初めて興味を持ったのも2018年であり、化粧品検定を取ったり、化粧品開発に関わってみたりして、全く知らなかった世界に急激にはまった年でもありました。それまでは化粧は適当に薄くやっており、あまり期待していなかったのですが、ちゃんとメイクをやれば一日中持つし、確実に印象を変えてくれる面白いツールでした。そして、なんと顔を褒められることが増えました。メイクさんに褒められたときが一番嬉しかったです。

また、化粧は肌にとって害悪だと思っていたのですが、多くの化粧好きの方たちは同時にスキンケア好きでもあり、顔の肌だけでなく手やそのほかの皮膚もきれいな人が多いんです。自分も、むしろ肌がきれいになってきた気がします。

 

また、クライアントに喜んでもらえることが多い年で、お金に関係なく、人が喜んでいるというのが嬉しいことなんだと思えるようになったのも良かったことです。今は自分と家族にばかり興味がありますが、徐々にもうちょっと広い範囲の周辺にも喜んでもらえる生き方になっていけばいいなと思います。

クライアントは化粧品関係が多く、化粧品に関しては自分は素人中の素人なのでもうちょっと勉強しないといけません。どうでもいいことなんですが、化粧品って詳しいかどうか顔(メイク)を見ればわかるので怖いもんですね。

 

あとは…コーヒー焙煎やパンなどの手作りにはまった年でもありました。夕食もできる限り手作りしました。代わりに自分にとって興味を持てないことはどんどん省略されていますが…。まぁ、それはそれ。

最近よく食事に行く50歳くらいの女性に、「30代は自他ともに大人になり、なんでもできて、とにかく楽しかった。今が一番いい時と思って、色んなことをしておいた方がいい」と言われました。うん。そうする。

 

2018年の心残りは、いまだに数年前から住んでいる賃貸住宅にいるということ。不動産探しは継続中ですが、価格がいまだに天井知らずなのでなかば諦めています、条件の方をいくつか諦めたら買えそうな気がしてはいるんだけど、少なくとも今の家よりもよくないと住み替える意味がないからなぁ…。2020年以降、本当に不動産価格が下がるのでしょうか。怪しいですよね。まぁいいや。

 

というわけで、最近良かった住宅をいくつかご紹介して締めにしたいと思います。

好きなものはここ数年ほとんど変わっていません。

 

1.

向こうの通りまで通り抜けられるホワイエがある家…と思ったら、建築美術館みたいなものらしいです。まぁでも、こんな家に住みたい。周りの環境にも貢献していそうです。

www.domusweb.it

隣家のぬりかべが丸見えなのがたまらん

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2.

東南アジアの家が好き。気候がいいからか、ひとつながりの大空間が多いんですよね。狭かったり、広かったり、向こうの部屋がほんの少し垣間見えていたり。素材感たっぷりなのも好き。

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www.archdaily.com

 

3.

とか言いつつミニマル空間も好きなんですが…

小上がりにベッドがあって、TVボードも兼ねているところが地味に好きです、ローテーブルも高さをそろえてある。

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design-milk.com

 

 

以上です。

早く家づくりに着手したいなー。

 

 

そういえば、最近夫氏がつくっていたホテルのようなSOHOのような物件が想像以上に良かったです。

hafh.com

逆ロンシャン的な窓枠が、屋外側では通行人を引き込み、屋内側では椅子や机などに使われるというファサード(建物の正面)の提案。

案を聞いていた時は、「考え方は分かるし、普通に面白いんじゃ?」みたいな超上からのコメントしていたのですが、笑

できてみると迫力があり、狙っていた効果も想像以上にありました。

特に屋外側へのインパクトが大きく、何でもない場所だったのに、ファサードが変わったことで一気に街に賑わいができたような気がします。「シェアオフィスとカフェのあるホテル」というプログラムからするとど真ん中大正解の手法だったのではないでしょうか。これで利用者も増えれば最高ですね。

写真が完成したらまたUPしたいと思います。

5年越しの手湿疹が治ったんだが…

最近びっくりしたことは、手湿疹がいきなり治ったことです!長期間、常に傷だらけでバリア機能極弱の深刻な状況だったので(症状はここ 

に書いてますが…)、こんなアッサリ治って嬉しいやら驚くやら。

 

方法は単純で、薬(私はステロイド系)+ワセリン+ポリ手袋+手袋で寝る、というだけ。

 

この方法だと手がびっちょり濡れて臭くなるので良くないと思って、以前1回やってやめていました。いつもは薬+ワセリンに綿手袋を2重にはめて寝ていました。しかしこれだと、何もせずに寝るよりはマシだけど治りはしない。

 

もうこれは持病だろうと一生付き合う気でいたのですが。ところが、いつまでも治らない(むしろひどくなっている)手湿疹にかかりつけのお医者さんが業を煮やし、「湿疹というか、傷だらけですね」「湿潤療法やってみましょう」とキレ気味に仰ったというわけです。

 

湿潤療法では多少の雑菌繁殖は問題ないとしているみたいで、手袋内がくさーくなってもまあいいんだそうです。ほんまかいな。あと、薬の成分が染み込みやすいのだとか。事実手は治ったので、湿潤療法さまさまなのでした。

 

手が綺麗になったので(自分比)、ハレが引いて指輪が抜けたし、爪が際限なく小さくなるのが止まってまた生えてきたし、ピザをこねたり餃子を包んだりもできるしで嬉しすぎる!久々にネイルでもしようかと思ってきました^O^

 

もししつこい手湿疹に悩んでいる方がいたら、お医者さんに相談してみてください。

 

川西工業 ポリエチレン手袋 内エンボス 100枚入 #2013 クリア M

川西工業 ポリエチレン手袋 内エンボス 100枚入 #2013 クリア M

 

サンホワイトP-1 400g

サンホワイトP-1 400g

 

仕事にかける時間のはなし

先日、上司との面談があったんだけど、ここのところ話題になるのは成果よりもむしろ働き方のほう。世間的にも社的にも、業績を伸ばすより仕事時間を減らすことのほうに注目が行っている(いまわたしは「業績を伸ばすことはもちろん、効率化することも求められている」などと苦しい書き方をしなくてよい、むしろしない方が現実に近いことに感動してしまった)。

上司によるとわたしは異常に効率が良いらしく、「家でこっそり仕事してるんでしょ?それもちゃんと残業つけといてよ!」と言われた。ちなみにコソ仕事はしていない。

 

ええ、ただの自慢ですハイ。嫌な感じだったらごめんなさい。

わたしの場合は、会社で労働時間短縮化の動きが始まる前に子供が生まれたので、必然的に効率化が一足早く進んだだけだったのだ。

 

一方で「早く帰れ」と言われても帰れない人はいて、同じ仕事でもかける時間が長い。そういう方と打ち合わせをしていると、打ち合わせの時間自体も長い。では無駄な仕事かというと全くそんなことはなく、こだわるポイントが多かったり、部下や関連会社がやれることを自分でやったり、全ての作業を逐一チェックしたり、クライアントに即レスだったり、要は全てにおいて丁寧で迅速だ。「そこまで考えているのか」と勉強になることも多い。クライアントはその仕事ぶりやスピード感に慣れるため、お互い長時間労働に向かうサイクルを成長させているのかもしれない。(単にサボっている人もいるかもしれないけれど、ここでは言及しない。)

 

上司としみじみ話したのは、「どちらかが良いとか悪いとかいう話じゃなく、時間が限られるからその中でやるしかないんだよね」ということだった。実際のところ、身の周りで労働時間が長い人は仕事熱心でこだわりが強い人が多いのだ。

ただ、日本の労働者は時間を安く見られすぎている、あるいは自分でも安く見過ぎていると思う。先に理想の成果物なり結果があるのではなく、先にあるのは有限の時間であって、その中で何がやれるかということでしかない。それは普遍の事実だと思うんだけど、17時に何か発生して「よーし、終電まで7時間あるな」という方向に行くのは間違いなんである。まあそれは、数年前のわたしなんですがね…。

連日何時間も残業していると、効率は下がるし視野が狭くなるしで良いことがない。

 

会社の雰囲気でなんとなく早く帰れない場合、上司に物理的に不可能な仕事量を与えられている人、トラブル対応などでその場に張り付く必要がある場合などはこの限りではない。

 

ちなみに夫は建築設計をしているのだが、「北欧か!」と言いたくなるような超健康的な事務所だ。9:30スタート18:30終わりで、日曜祝日は休み。子どもがいる所員さんは在宅勤務で週1出勤。でも物件数は少なくないと思う。すごく先進的じゃないですか。夫がスイーツ好きのため、コーヒー休憩が多いのもうらやましい限りである。

余談でした。

 

関連記事: 


「私が思うオシャレでかわいい服」を娘は喜ばないという話

 

世はインスタグラム全盛期、私もオシャレ子供服やらオシャレご飯などを眺めては「いいなあ」とため息をついています。服を着て写真を撮られている子供たちを見ていつも思うのは、「なんでそんなに大人しく着てくれるの??」ということです。超うらやましいんですが。

うちの娘(3歳なりたて)は意思が強いのか好みがうるさいのか、私が良かれと思って買ってくる服は喜ばないし頑として着ません。親が思う可愛さとか着やすさとか、既にある服との組み合わせなど散々悩んで買ったあげく「これやだ」と言われるのは地味に堪えるんですよね。

 

12歳のトレンチコート

それで思い出したんだけど、私が12歳だった頃フードのついたニットコートが流行っており、欲しかったので母に相談してみたんです。私はカッチリしたコートしか持っていなかったので、ちょっと遊びに行くときに羽織れるものが欲しいな、と。ちょうど秋口だったし。

 

それを受けて母が何を買ってきたかというと、トレンチコートでした。ロング丈で、テラコッタのような赤茶色。今でいうテロンチに似たゆるいトレンチです。私が欲しかったものとは全く違うものだったので抗議すると、「いい物だから」「似合うから」など私からすると見当違いなことを言われ、言い合いになり泣きました。友達と公園でお菓子を食べながらしゃべっているシーンに、トレンチコートが合うと思ったのでしょうか?今ではトレンチを着ている子供は珍しくないのですが、当時はそうではありませんでした。そのコートは一度も着なかったのに、ずっとクローゼットにあったのでよく覚えています。

 

今になって考えてみると、母の思考が想像できます。トレンチとはいえいつものコートよりカジュアルな形だし、娘に似合うと思ったのかも。あるいは、子供たちの中で目立つということを良い意味で捉えていたのかもしれません。しかし、12歳の遊び着にあのシブいトレンチはないなあ、と今なら笑って思えます。母なりに色々考えて買ってあげたのに、全く喜ばれなくて腹が立ったでしょうね。今みたいに子供向けの大人っぽい服が安く買えなかったので、値段も高かったんだと思います。今は子どものトレンチなんてUNIQLOでも売っているしね。

 

「娘の持ち物で楽しむこと」を手放してみる

私にとって子供部屋のインテリアに凝ったり、子供服を買ったりするのは自分用以上にめちゃくちゃ楽しい行為です。でも、子供の世界では大人目線でオシャレに見える服に需要はなく、自分の好みもあれば、もしかしたら友達と馴染みたいだけかもしれない。服に興味がない子、あるいは親と好みがぴったり一緒な子ならいいのでしょうが、娘はそうではないようです。親子で似ちゃったんでしょうね^^;娘の持ち物は、自分で選んでもらうようにします。

 

勝手に妄想していた「楽しい子育て」からまた一歩離れていくようですが、自分の中では子供の頃の自分を振り返れるいいチャンスになりました。私はずっと母に対して重苦しいような、でも認めてほしいような思いを抱いていたのですが、娘を見ていると「こうすれば良かったのだ」ということが分かってきました。そしてずいぶん気持ちが楽になりました。娘を肯定することで、あの頃の自分を肯定してあげられるような気がするのです。成長の追体験を通して自分を肯定できるようになったこと、それは娘を生んで良かったことの一つです。

 

娘はオシャレだ(たぶん)

この流れにまったく関係ないのですが、娘はオシャレな子だという気がします。2歳から服を手が届くところに収納するようにして、毎朝自分で服の組み合わせを考えているのですが、ちゃんと色や丈が統一されていたり、良く見ると差色が共通していたりして見ていて楽しいです。たまに柄柄!色色!とド派手なときもありますが、それはそれで面白かったり。「なるほどそういう着方があるのか」と気づくこともあります。親バカかもしれませんが、自分なりのセンスを育ててくれたらいいなと思います。

 

***

インスタグラム始めました。もう五回目くらいかも。いつもうまく楽しめないので、今回は続くといいな( ^∀^)娘のファッションは、載りません笑

 

はっぱの数を数えています

 

 

 

不機嫌は甘え

 

これ読んでウンウン、ごめん!と思ったので^@^;

不機嫌を表明できるのは、相手に対する甘え。

貯め込まずに普通にしゃべろう。

自戒。

 

会社ではニコニコやっているつもりなんですが、家庭だとイライラオーラがはみ出てしまっているようです。「これは腹が立った」「こうしてくれたら良かったのに」と普通のテンションで言うように気をつけます。

 

短いですが以上です。

 

生活のダウンサイジング、うん。

Topisyuさんのエントリーが私にとってとてもタイムリーなものだったので。私の暮らしのダウンサイジングとダルグロウスの記録を書きます。

 

第一形態:はっちゃける

私は子供がいない頃、周りが散財タイプだったことに引っ張られてかなりお金のかかる生活をしていたような気がします。好きなブランドのバッグや靴、流行りの店での食事会、ホームパーティーに行くにも高いお土産を持って、新しい服で…。旅行にも行ったし、仕事柄飲み会も多くて、無駄にお酒を消費していました。キラキラOLっぽい投稿をフェイスブックにして、中見はオッサンなんだけど~とかうそぶいてましたね。ええ、恥ずかしい記憶です(*=_=*)周りが「貯金なんかないよ」と言ってるのを真に受けていましたね~。冷静に考えると、そんなはずないんだけど。いや、もしかしたら…。う~ん。どうなんだろう。いまだに遊んでる層の実態はよく分からん。いずれにせよ、社会人になって小金を持つと一定数出現する「浪費=キラキラと勘違い」病だったように思います。身近にそうなっている若者を見ると、こういう顔→(´ー`)を止めることができません。(´ー`)イインダヨ

 

第二形態:落ち着く

子供が生まれると、物理的にできないことが増え、トレンドを追いかけることにも興味がなくなったので自然にお金を使わなくなりました。付き合う人も変わりました(というか減った)。今考えると、あのころの散財は何だったんだ┐(´-`;)┌というところまで来て、「生活のダウンサイジング」的には大成功なのかもしれません。

以前は気分に合わないモノはどんどん捨てる方がいいと思っていましたが、モノを買わなくなると「捨てたら終わり」なので気軽に捨てられなくなりました。新しく買うものも吟味しまくるので、その手間を考えると既に持っているものをどうにかこうにかして使った方がいいかな、と…。片づけしながら、あの頃何気にいい物買っているなあと遠い目をすることも。もう買う理由もないし、よっぽどじゃないと買わないだろうな~。安くて買いやすいモノもたくさんあるけど、前買っていたモノの方が素材は良かったりして、なんだか踏ん切りがつかない感じです。

 

第三形態:別の意味で弛む

ところが…。共働きが軌道に乗ってくると、今度は忙しさをお金で解決するのに慣れてきました。昔の消費と違うのは、自分なりに計算している所です。タクシー乗るのも「地下鉄に二人乗るのと数百円の違い…時間は半分…」とか、外食も「家で作るのと2千円程度の違い…準備も片づけもいらない」などなど。理由を探し始めるとそちらを選ばない手はなく、地味に生活費が再上昇してきたのです。実際に、超多忙同士の共働きで子供二人を育てている先輩が、「金があればどうにでもなる。」と豪語していました。確かに時間はお金で買えます。普通の贅沢と違うようで全く同じ、こちらもキリがありません。

 

生活のダウンサイジング、うん。

もう気づいてしまいました。自分はお金に関して「相当ゆるい」です。今の収入を維持できるのか分からないし、夫も両親も突然倒れるかもしれません。私一人がコケても、自分の面倒だけ見ていればいい時代が終わっています(数年前からね!)。ようやく気づいたか。

とりあえず、しっかり者の夫を巻き込もうと「私は生活をダウンサイジングしたいんや!協力しろおおおお」と宣言したところ、「お、おう」となっていました。びっくりだよね。まず君からダウンサイジングしろよっていう。がんばるよ!

 

余談。

学生の頃、いつも面白いことを言う先生が「僕はそこそこに幸せな感じなので、少しずつ生活レベルを下げていきたい。」と仰っていて、当時意味がよく分かりませんでした。今思えばこれも生活のダウンサイジングの話だったんでしょうね。ひとつひとつの物事を大切にする、質素で豊かな暮らしに憧れますが、まだまだ道は遠いようです。油断するとブクブクゆるんでいく自分の危険な人間性に気付けたので良かったです。これもまた成長?/(^o^)\

 

 

小さい頃の異国語の思い出

 

 

先日、幼児におすすめの絵本の記事を書いたのですが、 

「上手く行けばバイリンガル、失敗すればセミリンガル。幼児外国語教育はハイリスクハイリターンですよね」

「母語が確立しないうちに外国語を教えようとすることには、リスクもあります」

といったコメントを頂きました。

早期英語教育に警鐘を鳴らす本はいくつか出ているので、まあそういうことを書く方もいるだろうなあと思いました。

 

前提として、日本語環境で日本語教育しながら、夜気が向いた時だけ英語の本を読み聞かせてあげるのに、リスクも何もないと思います(その代り成果も大してないでしょう)。同じように、週一30分で英会話に通わせるのにも大して意味はないと思います。日本語字幕の英語の映画を毎晩見たからといって、日本語が分からなくなる・遅れるなんていうことがあるでしょうか。せいぜい、英語に親しんで、多少耳が良くなる可能性がある、というくらい。

私が英語の読み聞かせをしているのは、自分がたまたまバイリンガルなので発音だけでも真似してくれないかな~という淡い期待からです。学校での英語教育が始まった時に苦手意識を持たず、英会話が必要になった時にLとRとTHの発音にコンプレックスを抱かずに済んだら御の字です。

 

その上で、「バイリンガル教育みたいなのを半端にやると、確かにリスクはあるかもなあ」とも思っています。ここでの「リスクのあるかもしれない英語教育」というのは、インターナショナルなど英語メインの保育園に通わせたり、海外で生活したりなどの「ドップリ外国語+日本語」の場合です。一個人の経験ですが、結構大変だったのよ~という話を書きます。ちょっと長くなっちゃった。

 

言葉が止まった一か月のこと

日本語もままならない子供にとって一番つらいことは、「別の言葉で話さないと危機感を感じる環境に置かれること」です。私は日本語が完成する前の幼児期に、あまり勉強せずに英語の現地校に放り込まれました。日本人は一人もおらず、白人しか住んでいない地域だったのでそもそも有色人すらいませんでした。今考えるとなかなかのハードランディングです。子供にとっては学校でそれなりにやっていくというのは人生にとって重要度が高いことなので、そこで何も分からない・しゃべれないとなると、文字通り人生の危機なわけです。

私の場合は日本語も英語もしゃべらず、反応しない時期が1か月ほど続いたそうです。幸運なことに仲の良い友達ができたので、そのうち英語をどんどん吸収して友達も増えました。母が着物を着て学校に来てくれたこともありました。絵を描くのが得意(たぶん日本人の幼児はアメリカ人より具象的な絵を描く気がする…たぶん…)だったので、友達の等身大の絵を描いてあげると、喜ばれてやけに目立つところに貼られました。日本の漢字やひらがなは大変喜ばれるので、「日本ってクールだな!」と思ってもらえた気がします。当時ニンジャタートルズが流行っていたこともラッキーだったかも。家で日本語を話すことも復活して、2・3か月後にはすっかりおしゃべりになったそうです。

 

「しゃべらない日本人の子たち」との出会い

数年後、帰国することになり、漢字や日本の算数を学ぶために日本人学校にも週一で通いましたが、そこで初めて日本人バイリンガルの子たちに会いました。現地校になじめず日本人学校のみ通ってる子、日本語が片言で高学年なのにあいうえおからやっている子など様々でした。こういう子たちはいいのですが、一番つらそうだったのは「どちらもあまりうまくいっていないパターン」です。現地校で馴染めていないの授業もついていけてないし、勉強が進んでいないせいか日本人学校でも漢字や算数でつまづいているようでした。どちらの言葉で話しかけても片言っぽく感じます。こういう子は、私が通っていたスクールには教室に一人・二人はいました。それがもともとの性格・性質なのか、バイリンガル教育のせいなのかは分かりませんが、少なくともこの子たちにはバイリンガル教育は合っていなかったと思います。割り切ってどちらかうまくいく方に注力した方が良かったかもしれません。その後の彼らを知らないので、その時点だけの話ですが…。

「どちらもドップリ」タイプのバイリンガル教育がうまくいかない例は、どちらでも深い理解・発見や人間関係を築けなかった時かと感じます。自分のアイデンティティを発信できず、考えを発展する機会を得られないのかな、と。

 

日本にいるバイリンガルたち

私の場合、帰国してからの方がつらかった記憶があります。日本語は家で話していたので大丈夫でしたが、日本人の性質――思ったことを言わない、陰で噂を広める、女子と男子がきっちり別れる――などが馴染めなくて孤立しました。学校がすっかり嫌いになったので、受験して遠い学校に行きました。勉強は英語で考えて日本語で書いていましたが、次第に日本語で考えられるようになりました。当時(当時ね…)成績は良かったので特に問題はなかったと思います。字は汚く、それは今でも変わりません。これはバイリンガル関係なかったりして^^;問題は、個性がふよふよしている時期に海外で過ごしたので、日本に馴染めなかったという点だけでした。これもそのうち矯正されて、今ではすっかり日本人として生きています。

自分がそうだから目立って見えるのか、環境要因が分かりませんが、今までたくさんバイリンガルに会ってきた方だと思います。特に会社では石を投げればバイリンガルに当たります^^;バイリンガルだから人生辛いだろうな…という人には会ったことがありません。保守的な人が少ない、フランク、自分の意見がある、見た目やファッションなどの共通点はあります。個人的に好きな人も多いです。まあたまたまかもしれません。

 

多国語を話す国の子たちの存在

世の中には国内で当然のように複数語が離されている国もありますが、バイリンガル教育がNGであるならこれらの国の人たちは何らかの問題が起きているはずです。そうなっていないのは、自分にとって大事な環境――家族も、友達も学校もみんな同じように複数語だからだと思います。

繰り返しになりますが、大事なのは自分を認めてもらえて、考えを発信したりまた受け取ったりする土壌があるということかと。それができることが一番重要で、そこがクリアできないならまずはモノリンガルからスタートすべきかと思います。

 

長々となりましたが、中途半端に異国語環境にドップリ浸からせるのは危険かもよ。でもバイリンガルもいいもんだよ。という話でした。