私はコーヒーが好きです。
1日に2杯くらい飲みます。プレゼンや打合せが多い時は、そのたびにコーヒーを飲んでいることになります。そんな時には「もうコーヒーはいいよ…」と思うこともありますが、香りだけなら何杯でもイケる気がする。
そんなコーヒーについて、最近思ったこと。
※「コーヒーの美味しい淹れ方」についてのお役立ち記事ではありません。
美味しいコーヒーの淹れ方って、すごーく研究されていることの一つ
なんでこんなに?っていうくらい、コーヒーの淹れ方って深く広く研究されていることの一つですよね。そして、なんとなく男性がハマるイメージ。類似のものに、「蕎麦の打ち方」「うまいラーメン屋」「ワインうんちく」とかも入ると思う。
我が家も例に漏れず、旦那氏がコーヒー担当です。豆も、こだわりの自家焙煎の店から、新鮮さを標榜する店など選んで買ってきたし、淹れ方も、「普通のドリッパーでうまいこと淹れる」から、「鍋でつくる」「フレンチプレス」「コーヒーミル買っちゃう?」など色々試行錯誤がありました。
しかし、究極のコーヒーは存在しない…
でも。この記事にあるように、
美味しいコーヒーのいれ方を教えてあげよう マジックワードか宗教的仮説 - Yoshinori Hoshi Official blog
究極の美味しいコーヒーって存在しないんですよね。コーヒーに関わらず、こと食べ物・飲み物に関しては、ものすごく個人的でライブな存在であるがゆえに、究極の〇〇って存在しえない。自分がうまけりゃいいじゃんということになってしまう。本当に、自分がうまけりゃうまいのです。それをうんちくで否定することは、誰にもできないのです。
じゃあ、何が究極のコーヒーをつくるの?
- たぶん、一番影響するのが「気分」。美味しいコース料理のあと。気分良く起きた朝。美味しいケーキと一緒に(←旦那氏最重要視ポイント)。そういう時は、絶対美味しいもんね。「空腹は最良のスパイス」と、同じような事だと思う。
- 次に、コーヒーカップや飲む場所の雰囲気。ラベルがペットボトルの飲み物の味を規定するように、コーヒーも器や環境に影響を受ける。景色もそうだし、屋外・屋内も影響あると思う。
- 最後に、コーヒーそのものの不確定要素。買う豆にこだわるのは、私たちができることではあるけれど…出来不出来もあるみたい。豆そのものだけじゃなく、保存方法や鮮度もかなり影響する。温度や水質、量、そして、最後の最後に淹れ方。(淹れる前までのコンディションの重要度に比べて、大して影響がなさそうに見えてきませんか?)
こだわりのコーヒー屋さんは、宗教家に近い
コーヒーの専門店と仕事をしたことがあります。大手だったので、もっとドライに商材を見ているのかと思いきや、コーヒーに対する純粋な情熱を持っていることに感動しました。私は競合メーカーも研究しましたが、こだわりが強くて値段も高いことで有名な競合他社であっても、単純に比較するとそんなにスペック(豆の種類や熟成、焙煎の手間など)が良くなかったりもして、ますます「消費者には本当のところは分からない世界だなあ」と思ったことを覚えています。そして、どちらのお客さんにも、「ここのコーヒーじゃないとダメだ」と、ファンレターを送ってくるほどの信者がいました。
その時、打合せで頂いていたコーヒーが、「私が飲んだ究極のコーヒー」になりました。きっと、最高級の豆を、最高のコンディションで淹れて頂いていたのだと思います。苦いのに、後味は苦くなく、またすぐ飲みたくなります。良い香りだけが、口の奥にずっと感じられるようでした。ですが、それまでに伺った、コーヒーの産地や焙煎工場の話も、コーヒー気分を最高潮にしてくれていたはず。有難い説法を聴くようなものですね。
やればやるほど、コーヒーは美味しくなる
自分が気に入った人や店で買った豆で、自分ができる工夫を好きなだけ凝らして淹れるのが一番。その行為自体が、コーヒーを美味しくさせるはずだと思います。
我が家では、最近、アレッシィのアルド・ロッシがデザインしたエスプレッソメーカーを頂いたのですが、これで淹れたエスプレッソが一番美味しいみたいです。
まず、見た目がカワイイ。直火にかけている姿が、発射する宇宙船みたいでカワイイ。水が沸騰する小さいフツフツ音もいいし、エスプレッソがちゃんと湧きあがっているか確認するのもワクワクします。
以前はエスプレッソがあまり好きではなかったのですが、淹れる過程も楽しいからか、飲んでも「美味しいなあ」と思うことが増えました。
ドリッパーも要らないし、「沸く=淹れる」なので、手間要らず。手入れもラクです。
コーヒーって楽しいよね。