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最近観た映画「リアリティのダンス」「バードマン」

リアリティのダンス

リアリティのダンス(字幕版)

ホドロフスキーのDUNEとエル・トポで好きになってしまったので、ホドロフスキー監督の作品をぼちぼち見ています。これも面白かった~。

ホドロフスキーの幼い頃、チリの軍事政権下で暮らしていた頃の話のようです(実際は乳幼児期に軍事政権は終わってしまっていたので、創作なのかも)。なんとなく小学校高学年?くらいの話だと思います。ホドロフスキー少年の瑞々しい目線で、富んでいる者・貧しい者、搾取する者・搾取される者などの関係性が描かれるのですが、映像がショッキングなはずなのになぜか愛を感じる、優しい雰囲気でしたね~。エル・トポの時のようなギラギラ感や暴力的な感じはありませんでした。

出てくるモチーフが同じなので、それを探していくのも楽しかったです。エル・トポの時のように水に溶けるとピンクになるニセモノっぽい血糊ではなく、その他映像処理もすごくリアルになっていたのですが、相変わらず死んだ人が普通に頭を動かしていたりして「あんまりそういうことにはこだわらないんだろうな」とホンワカした気持ちになりました^@^

出演者も魅力的でした。ホドロフスキー少年はいかにもユダヤ系の、美形な男の子です。いつも困り顔で本当に困った目に遭うので可哀そうでした。映画の最初は彼の目線で描かれますはが、途中から父の目線に変わります。

お父さん役は、なんとエル・トポで途中で捨てられた裸の少年・ホドロフスキーの実子です!すっかり額が後退したおじさんになっていました。生涯、父に影響を受け、それを受け入れているんですね。高圧的な嫌な奴でもあり、なかなかハードな役回りもありましたが、見ている側が次第に好きになってしまうような弱さと優しさを持っている人として描かれていました。エル・トポの特典映像で父のことを語っているシーンがありましたが、そういう実際の姿が、次第に映画の中で優しく変容していくような感じでした。監督本人も、カンヌでの舞台挨拶で「思い出をねつ造し、家族を再構築した」と語っていましたね。そういうのもアリなんだな。まあ、思い出とはえてしてそういうものかもしれません。

お母さん役はオペラ歌手?のようです。この方が一番ど迫力でしたね…。絵にかいたような豊満な女性で、セリフを全てオペラのように歌い上げます。お母さんとホドロフスキー少年の関係は、最初は息子のことを「お父さん」と呼んでいたりして(父の生まれ変わりだと思っていたらしい)「?」という感じでしたが、その後ユダヤ人だといじめられる少年に「一緒に透明人間になろう、自由になろう」といって裸で闊歩するシーンとか、暗闇を怖がる息子にタールを塗って「闇は神の影だから恐れることはない、自分も闇になってしまいなさい」と追いかけっこして遊ぶシーンとか、なんとも愛にあふれていて良い雰囲気でした。(この文章だけ読むとやっぱり変な母という感じですね。おかしいな^@^)お母さんは、普遍的で包容力のある自然物のような感じでした。私にとって「母性が強い」とはこういう人なのかもしれません。自分が恐れて、絶対になりたくないと思いながら、でも魅力を感じてしまうキャラクターです。放尿シーンがあります。個人的にはここが一番「(ピーーーーー)」と思いましたね

他にも、エル・トポに出てきたような身体に欠損のある人の集団とか、小人症の女性に傅かれるエピソード、夜の店で働く豊満な女性たち、病人・貧しい人などなど共通のモチーフがあり、こういう物事が何か一生のテーマなんだろうということは分かりました。映画を通して、そういう目を背けられがちなものを凝視し、描き直しているようです。

ホドロフスキーの家族が多く関わっている映画です。怪しい般若心経を叫ぶ修行僧と、暗殺計画に失敗して自殺する共産党員もホドロフスキーの息子、衣装を担当したのはホドロフスキーの妻、共産党員役の息子は音響も担当しているそうです。家族総出やないかい…!もちろん、監督本人も出演しています。彼はパントマイムもしていたそうで、身体表現が巧みでよかったです。

なんだか散漫で感想文になっていませんが、そんな感じ。あざとさ一切なし、エピソードごとに常識を覆される感じで、面白いよ!

 

バードマン あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) [DVD]

後輩君が絶賛していたので観てみました。なるほどー、インテリ文化系男子の後輩君が好きそうなヤツだな^@^と思いました(何)私は「さつきとメイは途中から死んでいる」みたいな映画の都市伝説が大好きなんですが、バードマンもそういう感じのシーンがたくさんあって、途中から「ここは妄想シーンなのでは!?」「ここから死んでいるのでは!?」などと決めつけてみるのが楽しくかったです。「元奥さんは全て妄想」「超能力も妄想」「最後の舞台でキートン死亡」なのでは!?と決めつけてみました^@^

映画の中で、主人公はどんどん脱皮していきます。娘にののしられるシーン、裸で街を歩くシーン、バードマンが別れを言うシーン、大事にしていたメモ書きを捨てて行くシーン、そして窓からいなくなるシーン(成仏!?)。長年バードマンに憑りつかれてしまうほど過去の栄光にすがっている主人公が、ほんの1週間ほどでどんどん脱皮していくのは少し早すぎと思いましたが、面白く感じたのもまたそのスピード感のおかげかもしれません。

「長回し」というのもこの映画の特徴のようです。技術的なことはよく分かりませんが、映画「ゼロ・グラビティ」が異常に息つかせない感じで、時間が短く感じたのがこの「長回し(というかカットなし)」のようです。バードマンでの長回しも、やはり画面に釘付けになるような効果を感じました。最後の舞台で鼻を吹き飛ばした後、初めてカットが割られて様々なイメージ映像が挿入されるのですが、今までの緊張が切れたような感覚と、謎の感動が沸き起こりました。

BGMも面白かったです。喜・楽→クラシック 怒・哀→ドラム という風に使い分けていたのかな。ドラム部分が長いので、音数の少ないシーンが多いのがまた良かったです。怒鳴ったり、物を投げたりする音と、ドラム。カッコよすぎる…。

監督の意図を「ああでもないこうでもない」とツッコミ入れあえる友達としゃべりながら観たら超楽しそう。他の人の「答え合わせ」もみてみたいです^@^

それにしても、晩年鬱屈してどうしようもなくなったとき、色んなものを捨てて行きながら自由になり、再び幸せを勝ち取るために戦うことなんてできるんだろうか。「自分が大事にしてきた何モノか」が、大した意味のない物なんだと認められることはすごいことだし、そこからまた立ち上がれるのもすごい。技術的な工夫が印象に残る作品でしたが、普通の感動作にもできたよなあ。と思うと、色んな料理の仕方があるストーリーと役者、演出に「意図を与える」監督という存在は、本当に面白いなあと思いました。