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アド・アストラ(2019年、アメリカ)

【映画パンフレット】 アド・アストラ 監督 ジェームズ・グレイ キャスト ブラッド・ピット、トミー・リー・ジョーンズ、ルース・ネッガ、リヴ・タイラー

ブラピが宇宙で父親探しをする映画。

美しくて抑制のきいた表現、シンプルで一直線なストーリーライン、そして寡黙なブラピと雄弁な眉毛。素敵な映画だと思ったけど、あんまり心に残らない。人物も事象も記号的にしか存在していないからかもしれないし、ストーリーが王道だからかもしれないし、宇宙人が見つからなかったのにガッカリしたからかもしれない。ブラピ以外、全体的にうっかり者が多くて無能に感じてしまったのは大きい。ブラピだけカッコいいのはなぜなのか。そのせいで緊迫感はほぼなく、ストーリーもシンプルなので淡々と見終わってしまった。

そもそも、眉毛演技が基本的にあまり好きではないせいかも(なんじゃそりゃ)。寡黙な役柄の眉毛演技ってズルい気がしませんか?私だけか。自分が太眉で感情が眉毛に出てしまい、苦労しているせいかも。

 

アルマゲドンとスペースカウボーイがいっぺんに来たような配役は良かったし、月面が無法地帯になっているという設定は面白かった。まだまだ月面旅行は高級品である前提だったけど、もっと月面開発が進んだ状態の都市像も見てみたかったかも。

ロケットマン(2019年、アメリカ)

ロケットマン (オリジナル・サウンドトラック)

ボヘミアン・ラプソディーと同じ監督ということで、音楽映画はだいたい好きなので見に行きました。公開直後、休日、IMAXと割といい時間帯だったのですが、けっこうスカスカでしたね。実際に、アメリカでの興行収入はボヘミアン・ラプソディーよりもだいぶ低いようです。

エルトン・ジョンが昔過ぎたのかな?と思いましたが、デビューは1969年で、実はクイーンとほぼ同時期。夫氏と話していると、音楽の雰囲気が古いからでは?とのこと。個人的には音楽が昔っぽいとか今っぽいとかの感覚が分からないので何とも言えないのですが、エルトン・ジョンは女性よりも男性に人気があるような感じがし、映画に来るのは女性が比較的多いせいかとも思いました。

主演はラミ・マレックよりも若くて話題作への出演も多いタロン・エジャトンだし、エルトン・ジョンはクイーンに負けず劣らず華やかな存在なので、同じ監督でなぜここまで差がついたのか不思議です。しかも、タロン・エジャトンは本当に歌っている!歌が上手いのにも驚いたけれど、ステージでのカリスマ性はかなりのものでした。

 

実は、映画としてはボヘミアン・ラプソディーよりもかなり良くできていると思ったのです。ライブエイドに向かってシンプルに一直線に作られた、どこかPV映画のようだったボヘミアン・ラプソディーに比べて、ロケットマンは幼少時から現在に至るまで、エルトン・ジョンの音楽性がどのように作られたか丁寧に描いているものでした。全篇ミュージカルでもあるのですが、それを膨大にあるエルトンの曲で表現しているので理解が深まります。作詞家の相棒との曲作りシーンはどれもワクワクして素晴らしいものでした。

 

また、ボヘミアン・ラプソディーでは家族やメンバーたち、それから恋人の支えが描かれていたのに対し、ロケットマンはかなり孤独。永遠の片思いである作詞家の相棒、自分を裏切り続ける恋人(GOTのロブ・スタークの人!)、最後までひどい言葉を浴びせ続ける家族。フレディーは周りの支えに気づき、心を開いていくことで立ち直っていくわけですが、エルトンは結局誰からも欲しいものは貰えず、代わりに「自分の力で、自分を認めて愛すること」に気づき、一人で立ち直っていくわけです。認めてほしい人に認めてもらえず、愛して欲しい人に愛してもらえない局面は少なからずあると思いますが、それができるのは自分だけだということに気づけると人生はもっと楽になるはず。史実はどうか分かりませんが、現代映画として、これはめちゃくちゃにいいテーマだと思いました。

 

また、もう一つのテーマとして、報われない思いを音楽にすることということがありました。エルトンはゲイでしたが、ずっと好きだった作詞家の相棒がストレートであることで、永遠に片思いを続けることが運命づけられてしまったのでした。しかもさらに複雑なことに、彼の詩にはエルトンとの出会えた喜びや、作詞家の女性の恋人のこと、そしてエルトンとの決別など、曲を流すだけでエルトンと彼の一生が描けるほど全てが書かれているのです。それをずっと代わりに歌い続けるエルトン…。なんというねじれた関係!この奇妙な共犯関係のようなものがすさまじくて、どこか妖精のような純粋な雰囲気のあるこの作詞家が恐ろしく感じられました。浜崎あゆみさんの暴露本のことをちょっと思い出したりもしました。彼らにとって人生の辛苦は音楽の糧であり、自分を壊していく毒でもあるのかもしれません。

 

ボヘミアン・ラプソディーは製作総指揮・監督がブライアン・シンガー監督だったのですが、ロケットマンは製作にエルトン・ジョン本人が入っていることも大きいのかも。前作はショーアップされた分かりやすく盛り上がる映画だったのに対し、今作は本物の葛藤に踏み込んだセラピーのような映画だったからです。

実は、セラピーの様子は実際に映画の軸になっています。最後のシーンで、エルトンがセラピーの場に現れた幼少の自分自身を抱きしめるシーンが良すぎて…。本当に素晴らしい映画だと思いました。

不思議な週末と、共働き雑感

 

ママ友に誘われて、地元イベントみたいなのに行くことになった。アート系でけっこう面白そうなのだという話だ。先に着いたママ友から「こんな様子です」と写真が送られてきたが、体育館のようなところを背景に、パパも子供たちも微妙な表情をしている。一体どんな雰囲気なのだろう?

慌ててタクシーで駆け付けた。最近のタクシーはその人にあった広告が流れるようになっているのだが、普段は奥に座らせる娘をこの液晶の前に座らせてみると、同じカード会社のCMなのにでちゃんと子供目線のバージョンが流れる流れた。子供に対応しているタクシーアドは多くはないのだけど、機会があったら試してみてほしい。(なんのこっちゃ)。

 

会場ではだだっ広い空間に会場はだだっ広く雑然と絵が置いてあって、関係者がウロウロしているが始まる気配はない。30分くらいしてようやく代表らしき方がマイクを取った。片言の英語でいっしょうけんめいアーティストたちの紹介を始める。アーティストたちは小学校1クラス分くらいいるので、この紹介だけで1時間くらいかかる。チラシの絵とアー写をご本人と見比べてみたりして、娘と「ゴリラの絵だねぇ」「バナナが空を飛び交っている」などとコメントしながら楽しく過ごした。

ようやく終わったら、なぜかみんなにご飯がふるまわれることに。こちらはお金も払っていないし、関係者でもないのでひたすら恐縮。せっかくなので子どもたちだけ食べてもらうことにした。

その後、輪になって踊ることに。アーティストも含めほとんどの人が振付を知らないので、ポツポツといるやたらとうまい人のまねを後続の人がやって、ウェーブのように踊りが広まっていくというような光景だった。半分くらい外国人の、全く知らない数十人の大人たちだが、子供たちは意外とノリノリ。アジア人アーティストたちはシャイだったが、西欧のアーティストはノリが良く、子供たちに何度もからんできた。

 

ふたを開けてみると、内輪でやっているイベントの打ち上げに勝手に参加したみたいになってしまった。よく考えると、入口のところで「お疲れ様です」などと声をかけられていたのだった!ママ友と「ご飯のにおいを嗅ぎつけてやってきた家族たちと思われたりして」などと笑いあっていたのだけど、振返ってみるとそうとしか見えない…。いちおう、開かれたイベントだったらしいので、地元民がほとんど参加しなかったというのが実際のところなんだとは思うが、シュールすぎる。このママ友はイベントごとに詳しい方なので、かなりレアなイベントを見つけてきたんだと思う。

 

その後、私が予約した近くの店でご飯を食べた。新鮮な魚が食べられるところで、どちらの家族も酒飲みなので大いに進んだ。子供たちはイベントで食べてしまっていて暇そうだったので、適度に切り上げてママ友家へ。そのまま子供たちが遊び疲れて寝落ちするまで、大人は大いに飲んで大いに語った。

話題はほぼ共働き家事育育児分担について。みんな、溜まってんね…。30代という働き盛りの時期に、仕事を優先したい人と子供を優先したい(あるいは、優先せざるを得ない?)人とのバトルがある。仕事を優先したい人の不満は分かりやすいのだが、家族を優先している人の不満は複雑だと思った。家族一緒に過ごせないというさみしさだけではなく、自分はキャリアを犠牲にしているという被害者意識のようなものと(要は、パートナーがズルいと思うこと)、一人で子供とずっと過ごしていると溜まるある種の疲れ、など。子供は基本、理不尽なので、解決されないイライラがたまっていきがちだ。

 

一方で、結婚していない友人と話していると、仕事のグチをずっと聞くことが多い。非効率な同僚の話だったり、考えの合わない上司の話だったり。さらに主婦の友だちだと、夫、それからママ友へのグチ。

 

総合的に考えると、相手に対する不満って「不公平感」に起因するのかなと思う。自分と、自分の近くにいるほぼ対等な相手との「ズレ」。傍から見るとそれほどズレていなかったり、理不尽という程ではなかったりするのだけど、自分から見た世界だと相手ばかりが得をしているように見える。相手と自分が違いすぎると、不思議と起こりにくい現象でもある。

共働きだとますますこの差が狭まってしまうので、ちょっとしたずれが積み重なっていくと決定的な断絶に繋がりやすいように思う。

 

こうやって家族ぐるみで楽しくガス抜きする時間を持ちながら、うまくやっていけたらと思う。

ライオンキング(2019、アメリカ)

ライオン・キング (オリジナル・サウンドトラック デラックス版)

またまた娘との放課後デートで見てきた。実は、リアルでちょっと怖そうだったのでしばらく娘が拒否していたのだけど、電車ジャック広告を見てコロリと意見を変えたようだった。やっぱり電車ジャック広告、けっこういいよ!(何)

映像がリアルすぎて、直前のCMで流れていた「ダーウィンが来た」みたいな映画に見えるのが面白い。「ダーウィンが来た」のハエがいないバージョンという感じ。私は気づかなかったけど、性器も消されているらしい。

それだけに、感動的な音楽とともに「王者たるライオン一家にこうべを垂れるサバンナの動物たち」という有名なシーンになると、違和感がすごかった。食物連鎖の頂点だからってライオンが偉いわけじゃないし…何でも食べるからってブチハイエナが下劣なわけでもないし…。これは乗れないやつかもなーと思いながら見ていたけれど、「王様になるのが待ちきれない」のあたりではすっかり違和感も忘れ、作品に没頭していた。リアルではあるが、やっぱりフィクションだというのは分かったし、アニメ版と忠実に再現しているシーン・構図がたくさんあって、そちらの映像も思い浮かべながら…とやっていると、これはこれでアリかもなと思ったのだった。リアルシーンがいい味を出していたのは、例えばミーアキャットが子ライオンの牙を確認してびっくり跳ね上がるシーン。普通の動物の動きにも見えるし、コミカルな恣意的な動きにも見える、実に絶妙なさじ加減だったと思う。顔の表情がほとんどない代わりに、体を使った表現と、音楽が感情を伝えてくれる。

もう一つ良かったのは、子供にとって怖いシーンが全くなかったこと。リアルに徹したせいでおどろおどろしいシーンがないため、アニメなんかより見やすかったみたいだ。娘は音楽も好きなので、見終わると延々“Can you feel the live tonight”などを歌っていた。

鑑賞後、子供には「ライオンが偉いわけじゃなく、単にお話上そうなっているのだ」という説明をしておいた。子供向けコンテンツでも「ウサギはかわいい女の子、キツネはズルい男の子」みたいな先入観による決めつけはよくあること。それが実態とは違うことをいつも言っておきたい。

夏にぴったりのメイク仕上げ用スプレーと、夏のメイク崩れを防ぐ方法

メイクのセッティングスプレーは3本目で、まだまだ正解が分からずにいるのだけど、これは今のところ一番気に入っている。

Physicians Formula, Rose All Stay, Illuminating Setting Spray, 3.4 fl oz (100 ml)

最初ラベルに隠れていて気づかなかったのだけど、なんとこれ、ものすごい量のパールが入っている。

どうもこれをスプレーした後はツヤがすごく増えるなと思っていたのだけど、これだけパールが入っていれば納得。手足にかけても自然な艶肌がつくれてお勧めだ。

特にメイク持ちは良くならないけれど、メイクが馴染んでいい感じになるので気に入っている。

 

個人的に、セッティングスプレーに求めているのは、

・膜っぽくならないこと

・アルコールフリー

あまりメイク持ちについては期待していない。メイクの粉っぽく仕上がってしまったところが何となく馴染んで仕上がりが良くなるので十分だと思う。

膜っぽい仕上がりは、その瞬間はきれいなのだけど、ちょっと時間が経つとこすれてボロっと取れたりすることがある。顔をよく触ってしまうので、ボロボロと取れやすいテクスチャのものは敬遠している。

アルコールが入っているものが多いので、これは注意しないといけない。アルコールが入っていると乾きやすく便利だが、無くても風を当てれば乾く。Pixiのセッティングスプレーを買ったらアルコールたっぷりで、毎回酔っぱらうんじゃないかと思った…。アルコールが刺激にならないタイプの人もいるだろうけど、肌が乾燥してしまう。

 

夏ってベースが崩れがち

夏は汗や熱でメイクの油分が緩んで溶け、崩れやすい。これはもうどうしようもないのだけど、余分な油分を吸い取ったり、水分をはじいたりする成分で幾分か押さえることはできる。個人的にはアンチエイジングも気になるところなので、できるだけ地肌の油分まで吸い取る成分は使いたくない。そういうものを使っていると、なぜかいたちごっこのように油分が増えていく印象がある。

というわけで、夏のベースづくりには下記を気にしてやっている:

・フェイスマスクで保湿

・水スポンジでベースを叩き込む

・崩れやすいところは水スポンジで粉を厚めに乗せて、叩き込む

・風を当てながらメイク

 

混合肌なので鼻やおでこなど部分的にオイリーが気になるものの、いまは油分を取るよりむしろ保湿していく方に気持ちが傾いている。例えば、朝のフェイスマスクで日中のテカりはだいぶ抑えられた。

また、メイクの水溶性成分をあらかじめ取っておく。具体的には水スポンジで何度もベースを押さえて、余分を拭きとっておくこと。

さらに、パウダーは冬場よりも多目につける。普段は柔らかいブラシでほんの少し肌の上を転がしている程度なのだけど、真夏の「今日は崩れるぞ」という日には、水スポンジに直接粉をつけて、特に崩れやすい鼻まわりと目の下のエリアは押さえるように厚めに乗せておく。水スポンジなら粉っぽく仕上がらないし、気になるならセッティングスプレーで全体を馴染ませてもいい。これはよく欧米のユーチューバーがやっている技で、「厚塗りになりそうだな」と敬遠していたのだけど、やってみるとそんなに気にならない上に、持ちが段違いにいい。

粉があふれるくらい大目につけると「ベイク」になる。これは本当に崩れないので感心したのだけど、厚化粧感があって個人的には馴染まなかった。顔だけ高精度になる。

ベースを作っている間はずっと風を当てて、しっかり一つ一つのレイヤーを乾かしていくこともやっている。

 

保湿にベースづくりに…とやっていると手間も時間もかかるのだけど、夏はやっておいた方がいいみたい。メイクが完成したときは大して変わらなくても、昼前くらいになると持ちが如実に変わってくる。コンシーラーを塗っただけの時はぜんぶ溶け落ちてしまうようなところも、水スポンジで抑え込んで、パウダーでふたをしているとちゃんと残る。

死ぬ前のことばかり考えている

 

最近、死ぬ前のことばかり考えている。死ぬ前と言っても、臨終のときというよりは、老後で体が思うように動かなくなって、思考もゆっくりになっていって、どこかの室内でじっとし始めるようなとき。それが10年続くのか、ほどなくして死ぬのか分からないけれど、そういうとき。

これから20年くらいの自分は、人生で一番体が思うように動いて、お金もたくさん稼げて、遠くまで行ける状態なんだと思う。でも、いまいくら楽しくても、お金をたくさん稼いでも、死ぬ前になったらたぶん何もできない。そして、そんな状態はグラデーションを描きながら近づいてきて、気づいたらどっぷりそうなっているんだと思う。あるいは、病気や事故でいきなりそうなるのかもしれない。

あるドラマ中の、ガンで死にゆく老人の言葉を思い返す。「年を取ると、美しいものが周りを通り過ぎるけれど、どんどん速くなっていって、追いつけなくなる。孫の寝顔を見ていると、その寝息を捕まえて取っておきたくなる。でも、速すぎて捕まえられない。」

 

何となく、自分は「その時」のためにいま生きているような気がする。

 

死ぬ前は、自分が何をしてきたんだろうかとか、どういう存在だったんだろうかとか、そういうことばかり考えると思う。そういう時、今のように、「明日は何が起こるだろうか、やりたい」と思いながら死ぬことは、自分にはないような気がしている。なぜだか分からない。間違っている可能性ももちろんある。

 

その時に後悔しなくていいように、自分の身の回りの人にいい言葉を伝えたい。子供と色んな風景を同じ目線で見ておきたい。自分が考えたことを何かに残して、自分だけのためにそれを見返したい。そう思うようになった。

私は写真を撮ったり思ったことを記録したりするのが苦手だったんだけど、最近は「自分のためだけ」と思って、見返したらこっぱずかしいようなものでも意識して残すようになった。娘とパフェを食べている「いかにも」な自撮りだって撮る。

 

なんでそんなことを考え始めたのか分からないけれど、思い当たるのはいくつかある。

最近、若くしてガンで亡くなる方がよく目につく。同い年の人すらいて、お金がたくさんあって賢くて、力もあったような人もいる。何年もFB上でしか交流がなくなっていた友達がガンになった。毎日投稿される闘病生活をじっと見る。実は、何年か前、ガンで友達を二人亡くしている。頑張って頑張ったのに、最後は脱水しきったようにして亡くなってしまった。自分だけは絶対そうならないなんてことは、ないだろう。

最近、親と衝突した。前から意見が合わないことがよくあって、しばらくはお互い目をつむって何となく過ごしてきたのだけど、色々あって限界になった。私が激怒しているので、めったなことでは動じない両親も動揺していた。なるべくしてなったともいえるが、老いた両親にこんな気持ちを味わわせるのは、果たして正しかったのかいまだに分からない。自分が老いて、子供と取り返しのつかない言い合いになるのを想像したら、心が冷えた。両親と冷戦状態が続いている中、私には写し絵みたいにそのまま娘と自分との関係に見えている。両親が死ぬまでこのままなんだろうかと、心が重苦しい。たぶん、若い相手との諍いならこんな気持ちにならなかったと思う。

ERで働いている知人がいる。子供がたくさんできて、仕事が忙しいだろうにその子たちを連れて毎週末のように旅行に行っている。毎日死を見る生活と、むせかえるような生命感のある子供たちとの生活、頭の中ではどうなっているのだろうかと思う。彼とそういう話をしたことはないけれど、ずっと死を見ていると、強烈な生きている実感が欲しくなるのかもしれない、と勝手に想像してみたりする。

 

とんでもなく暗いことばかり書き連ねてしまったような気がする。

結果的には、「いまを全力で楽しむべし」みたいな明るい結論になっているので、まぁいいか。

しばらくは思い出づくりと思い出残しに精進する。人生は短いのだから、やりたいことは何でもやっておきたい。

口紅でチーク代用

いまコーラル系のチークをなんとか使い切ろうと毎日使っているのだが、いい加減飽きてきて別のチークを買う誘惑に負けそうになっている。

 

欲しいのはマット目のブリックカラー。

以前ディオールのアザールというチークをタッチアップしてもらい、辛口で上品な発色にほれ込んでしまったのだった。キラキラしないけど立体感は出るちょうどいいサテン具合も好き。

Dior - ãã£ãªã¼ã«ã¹ã­ã³ ã«ã¼ã¸ã¥ ãã©ãã·ã¥

↓実際はもっと濃いブリックカラー。全然違って見えるな、、

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「そういえば口紅でチークできるって聞いたな」と思って、さっそく似たような色でやってみた。

今は無きプレイリストのブラウンリップ。リンクはない。

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これめーっちゃお気に入りなのね(知らんがな)。赤にも青にも振れない茶色で、激辛色。口につけると赤と混ざってレンガ色になる。ごく普通のメイクにこれだけで、自分比でお洒落な顔になれる。色んな色と混ぜるのも楽しい!

 

 

これを、ただただ頬に点置きして指でポンポン馴染ませる。簡単にできた。たぶんブラウン系の口紅だったら再現可能かと思う。

 

そういえば昔から、夜に顔色が死んでいて口紅一本しか持っていないとき、ちょいちょいとまぶたとチークに口紅つけるときあったんだった。

口紅もチークに使えるとなると、赤から紫、ピンク、茶色と一通りの色持ってることになるな。これは捗る。しかも、100%口紅の色とチークを合わせるのはけっこう難しいので、同じ製品を使ってしまうのは理にかなっている。

もしかして、チークって買わなくていいやつだった?と思い始めている。