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シティ・オブ・ゴッド観た

 

1960-80のブラジル・リオデジャネイロのスラム街(神の街)に生きる子供たちとギャングを描いた実話。

それだけで「何か悲惨な話で、自分が恵まれていること、救われるべき命があることなどを考えさせられるんだろうなあ」と思うと思うんだけど、まあその通りだった。

キャストは実際の街でオーディションし、アドリブ主体の演技をしたそうだ(ウィキによると^p^)。それを見てとても納得したんだけど、ギャングたちも子供たちもすごく自然ですごくおかしい。「悲惨な状況を演じるぞ!」という感じが全く無く、カラッとした街でパンパン銃声が響き、人があっけなく死ぬ。死ぬ覚悟や人生の悲哀などは画面にはなく、見ているこちらがひたすらショックを受けるという感じ。特に小さい子供たちの屈託なさが屈託なさ過ぎて、環境の悲惨さとの対比ですっかり気分が悪くなってしまった。とりあえず備忘録。

シティ・オブ・ゴッド [DVD]

 

(※映画の筋を書いているので、知りたくない人は読まないでね!)

 

***

 

世界で一番、命が軽い街

映画を通じて感じたのは、圧倒的な命の軽さ。夫が、途中で「薄っぺらい人生だなあ」と呟いている時があった。それだけ聞くと反感をかいそうだけど、本当にそうとしか言えないような人の死をたくさん見るのだ。

夫が「薄っぺらい」と言った人物の人生はこうだ。

  • 仲間数人でラブホテルに押し入り、何人か人を殺し、金品を奪って逃げる。この事件は色々あってかなり大きな問題になり、警察に追われる身に。
  • 女の家に隠れ、ヒモ状態で数か月過ごす。
  • 女が身ごもったので、二人で街を出るために車をハイジャックする。
  • 警察に見つかり、撃たれて死亡。

実際、薄っぺらいのだ。何かフォローしようにも、誰をも幸せにしていないし、人を簡単に殺すし、そのまま生きていてもきっと生き方は変わらなかっただろう。幼い頃からそういう環境しか見ていないので、そのようにしか生きられない。

 

「神の街」には上記のような男が大勢いて、でもそうではない男も少数ではあるが、いる。その男たちの話が、映画の物語を作っている。トップ・オブ・ギャングたちと、ギャングであることを否定する男たちだ。

 

トップ・オブ・ギャング

ギャングのトップになるには、「頭を使えて銃が使えること」と言われる。だが、頭を使うと言っても大したことではない。ギャングのトップを殺した男が、次のトップになる。麻薬を売りさばいて、さらに武装する。銃に関しても、映画の後半にギャングではないけれど銃の使い方がうまい男が出てきた瞬間、ギャングの中で最強になってしまう。つまりはそんなことだった。ここでは忠誠心や情のようなものも排除して描かれており、任侠とは違う。ここで生まれる子供たちも押しなべて同じように育っており、子供なりに今のトップを殺す機会を探っている。

ギャングには派閥があって、平和な時は均衡を保っているが、ひとたび領地争いなどが起こると街全体で銃声が飛び交うようになる。残虐で孤独なリーダー、リトル・ゼと、その相棒である陽気で優しいベネ、敵対するグループのリーダー、セヌーラと、リトル・ゼに家族を殺された恨みでセヌーラに加わるマネ。

 

神の街から抜け出した男たち

そんな中でも、平和を望んでギャングに染まらず生きていく男たちもいる。カメラ好きの少年ブスカペであり、基本的には彼の視点から映画は紡がれている。(本当はマネもギャングを嫌い、バス車掌として生きていたが、恨みに囚われてギャングになってしまう。)

ブスカペは地元の新聞社に出入りし、報道カメラマンとして新聞社に潜り込むチャンスを窺っている。そんな折、リトル・ゼ率いるギャングを撮った写真が1面に取り上げられ、チャンスを得る。ギャングのことはこれだけ問題になりながらも、新聞社に勤める人間には近づけない、完全なブラックボックスだったのだ。その後、警察とギャングとの癒着などの決定的な写真を撮るブスカペ。彼にとってそんなことは当たり前の日常だったが、新聞社や新聞を読む人間にとって、実際に目の当たりにすることはそれまでなかったのだと思う。

 

忘れられないシーン

全編通して気持ちいいとは言えないシーンばかりなんだけど、忘れられないのは子供の泣いた顔だった。リトル・ゼに戯れに足先を撃たれた少年(8歳くらい?まだ本当に小さい)の泣き顔が、自分の子供がぐずって泣いている顔とほとんど変わらないように感じたのだ。そして、別の少年に、その少年を撃てとけしかけるリトル・ゼ。もうね、無理です…。(そもそもこのシーン、マジ泣きにしか見えなかったんだけど本当に怖かったんじゃないの?大丈夫なの?と思いました*_*;)

 

ところが。

 

映画のラストでは、リトル・ゼは上記の子を含めたちびっ子ギャングたちにハチの巣にされるのだ。子供たちの動機は、恨みがあった、ギャングを根絶したい!などではなく、単にチャンスがあったから。そして、自分たちがトップになるために。思えば、リトル・ゼもほんの小さい子供だった頃から強盗の計画を立て、人を簡単に殺していたのだ。

 

***

 

映画としてはよく出来ていて、とても面白かったんだけど、とてもキツイ映画でもあります。もう10年以上前の映画で、その当時たくさん映画賞をとったようですよ。

 

戦争映画や天変地異ものなど、人がびっくりするほど死んでいく映画は多くあれど、シティ・オブ・ゴッドは全然違って感じます。それは、小さい頃から自分が常識と感じていることをベースにした「人の死」なのかどうか、の違いでした。人の命は尊いもの、というベースで人の死を描くと、必然的に殺人者は凶暴だったり冷徹だったりするし、殺される側も覚悟を持ったり、恐怖に我を失ったりするもの。でも、この映画では死が日常の延長としか描かれません。私はそれを小さい子供の死と死生観という点で感じたのだけど、実際にそういう道徳や常識が刷り込まれるのは幼い頃なのだろうと思います。今の平和な日本にあって、自分の子供に「命は尊いんだよ」等と教えるチャンスが無さそうですが、命と死について意識的に知る機会をつくらねばならないのだと思いました。

 

ちなみに監督のフェルナンド・メイレレスは建築学科出身だそうです。他にもナイロビの蜂やブラインドネスなど、話題になった作品を撮っている方です。 

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