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テディベア教を思い出した

何でもないこと 子どもの成長 母の成長(?)

 

 

娘が数か月ぶりに熱を出したので、実母に来てもらった。久しぶりに一日中世話をしたからか、しきりに「成長したねえ」という母。確かにこの1か月は、いつもの1か月よりもずいぶん成長したような気がする。まだ2歳になる前だけど、すでに女っぽいところ、ちょっと意地悪なところ、負けん気が強いところ、でも初めて会う人に奥手なところなどが垣間見えて面白い。人間ってこういう風にできていくんだ、と日々気づかされる。

 

おもちゃに対する態度もがらっと変わった。

以前は受け身だったが、今では絵本をまとめて数冊持ってきて、一緒に読むための大きいクッションも引きずってきて「えほん、よむー」というようになった。一緒に遊ぼうというお誘いみたいだ。今まで見向きもしなかったぬいぐるみや人形を可愛がり、寝かしつけたりおもちゃの野菜を食べさせたりするようになった。

いわゆる「子供らしいかわいい仕草」が増えてきた。

気づくとニヤニヤしながら娘を眺めてしまっている。

 

ぬいぐるみや人形は、私が使っていたものを母がとても大切に残していたので、そのまま娘に使わせているものもある。娘は新しく買ったものより、これらの昔の人形を気に入っているらしく、特にリアルなフランス人形を「あかちゃん」と呼んで気にかけている。それを見て母は「あなたも同じようにこの人形を持ち歩いて可愛がってたのよね」と言った。そして、「この白と茶色のテディベアは、いつも枕元の左右に一つずつ置いてたわね」と。

 

それで思い出したのだが、私はこのフランス人形が好きではなかった。

母はこういう女の子らしいきれいなものが好きで、凝ったデザインの服を着た人形を誕生日やクリスマスのたびに買ってくれた時期があった。私は子供心に「お母さんは『人形を持っている私』を見るのが好きらしい」と気づいて、家族でお出かけの時に持ち歩いていたのだった。

テディベアは、もらった当時あまりに大きく、ちょっと怖かった。手を回しても届かないくらい胴体が太く、綿が固く締まっていて重かった。でもだんだん慣れてくるに従って、「これは怖いものから守ってくれる神なのだ」と思うようになった。ちょうどその頃、周りの友達はみんなキリスト教だったりイスラム教だったり(あるいはアメリカという国だったり)をきちんと信仰しているのに、自分には宗教がないことを気にしていた。「食事の時にお祈りしない」と言ったら、「ニホンジンは無宗教なのか」と驚かれたのだった。今なら、自分は何らかの仏教のお墓に入る予定で、食事のときは「いただきます」ということくらい言い返しそうだけど、宗教観が薄いことには変わりはない。まあ、そんなわけで、何か毎日お祈りする相手があることが、子供心に「クールなのだ」と思ったのだと思う。

それで、この大きすぎるテディベア夫妻を神にすることにした。(本当は白いほうが良いことを司っていて、茶色いほうは悪いことを司っているなどの細かい設定があったり、お祈り的なものの手順などがあったりしたけどあまり思い出すと恥ずかしくて死にそうなので割愛する)

 

母は、フランス人形を持ち歩いて、寝る時にはテディベアを枕元に置く娘を見て「なんて子供らしくて可愛いんだろう」と思っていたと思う。でも、目の前の子供の様子や仕草のかわいらしさと、実際に起こっていることにはそれなりに差があった。子供は他人であり、しかも見かけよりも成長しているということなんだと思う。

 

さて、娘はまだ1歳。それほど「見えている姿」と「思っている姿」に差はない、はずだけど…でも、時々びっくりするほど女っぽく感じることもあるし、自分とのキャラの違いに(当たり前だが)「この人は私とは全く違う人だ!」と気づかされる。

ついつい、見た目の幼さや発言の純粋さにとらわれて赤ちゃん扱いしてしまうけど、もう人格のあるヒトなのだということを忘れないでいたい。