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生まれる3週間前の話

予定日の3週間前には産んでやろうという私の目論見は外れ、
なんと全体の4%しかいないという「予定日当日」に息子が生まれた。
律儀に締め切りを守る男なのだ。

 

以前書いた通り、正期産以降は一刻も早く生まれるようにあれやこれやと体を動かしていたのだが、
出産日を早めることには効果はなかったらしい。

 

夫氏からすると「いやいや、予定日まだ先やし…まだ生まれたくないし」と胎児側の気持ちになっていたようで、それはそれで「一理ある」と思われた。
とはいえ、妊娠後期はほんとうにツラい。

 

身軽だけど体は傷ついている産褥期と、
健康そのものだが、制約が多くて体も重い妊娠後期のどちらが嫌かと言われたら、
間違いなく妊娠後期を選ぶ。
毎日叫びだしたいほど嫌だったのだー。
何かというと、異物感がひどい。血流の悪くなった足がむず痒い。骨がゆるんで腰がきしむ。夜は眠れず、昼はずっと眠い。
とにかくスッキリしたい!

 

そんな日々が、まる3週間あった。

奇しくも、それは娘の春休みと被っていた。

 

毎日嫌がってばかりはいられないので、
定期的な運動のほか、何か有意義なことをしようと考えた。
乳児がいる不自由と、身重の不自由は性質が異なる。
なので、乳児がいると、できなさそうなことを色々やっておこう。
それは、娘と一緒に過ごすことだった。

 

桜の季節だったので、毎日のように花見ランチをした。
桜の名所に行くこともあれば、眺めのいいカフェのこともあった。

 

歩いて行ける文化施設に通った。博物館、美術館、図書館。
特に図書館は毎日のように行った。

 

陶芸教室に通った。
敷居の高いレストランにも行った。
雑貨屋に行って「弟の出産祝い」を買うのに付き合った。

 

そうこうしているうちに予定日当日になり、
とてもとても長かった妊娠期間が終わった。

 

今となっては、娘と二人っきりの時間を過ごすのは難しいので、
この時に行っておいてよかったと思う。

 

二人目が生まれることにおいて、
一番気になっていたのは娘のことだった。
赤ちゃん返りする年でもないが、親離れできている年でもない。
周りの年が離れたきょうだいがいる知人たちに聞くと、
「下の子に親が取られたようでとても嫌だった」という意見がほとんどだった。
自分は下の子側で年が離れたきょうだいがいるが、
もしかしたら兄も、言わないだけで嫌なことがあったのかもしれない。

 

というわけで、
産後でバタバタしてはいるが、できるだけ娘の話を聞いて、一緒にできることを増やそうと意識している。